UKANDANZ

1960~70年代のエチオピア音楽を集めたコンピ盤「エチオピーク」シリーズのロングセラーによって、世界的に注目を集めるエチオピア音楽。ペンタトニック音階で、メロディーは日本の演歌的、リズムの多くはポリリズム、その上、他のどのアフリカの国の音楽とも似ていない。今ではエチオピア音楽を演奏する欧米人のアーティストまで登場している。


そんな中、エチオピア人男性歌手をフィーチャーし、エチオピア音楽にプログレ~ハード・ロックを組み合わせたフランス・リヨンのバンドUKANDANZが2013年夏、富山のスキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドに初来日した。一部で「ブラック・サバス・ミーツ北島三郎」と評された彼らに、やはりスキヤキの会場でインタビューを行った。エチオピア人歌手アスナケ、フランス人のダミアンとリオネル、そして日本人の僕。なぜか共通言語は誰の母語でもない英語だった。

UKANDANZ

1960~70年代のエチオピア音楽を集めたコンピ盤「エチオピーク」シリーズのロングセラーによって、世界的に注目を集めるエチオピア音楽。ペンタトニック音階で、メロディーは日本の演歌的、リズムの多くはポリリズム、その上、他のどのアフリカの国の音楽とも似ていない。今ではエチオピア音楽を演奏する欧米人のアーティストまで登場している。


そんな中、エチオピア人男性歌手をフィーチャーし、エチオピア音楽にプログレ~ハード・ロックを組み合わせたフランス・リヨンのバンドUKANDANZが2013年夏、富山のスキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドに初来日した。一部で「ブラック・サバス・ミーツ北島三郎」と評された彼らに、やはりスキヤキの会場でインタビューを行った。エチオピア人歌手アスナケ、フランス人のダミアンとリオネル、そして日本人の僕。なぜか共通言語は誰の母語でもない英語だった。

UKANDANZ

1960~70年代のエチオピア音楽を集めたコンピ盤「エチオピーク」シリーズのロングセラーによって、世界的に注目を集めるエチオピア音楽。ペンタトニック音階で、メロディーは日本の演歌的、リズムの多くはポリリズム、その上、他のどのアフリカの国の音楽とも似ていない。今ではエチオピア音楽を演奏する欧米人のアーティストまで登場している。


そんな中、エチオピア人男性歌手をフィーチャーし、エチオピア音楽にプログレ~ハード・ロックを組み合わせたフランス・リヨンのバンドUKANDANZが2013年夏、富山のスキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドに初来日した。一部で「ブラック・サバス・ミーツ北島三郎」と評された彼らに、やはりスキヤキの会場でインタビューを行った。エチオピア人歌手アスナケ、フランス人のダミアンとリオネル、そして日本人の僕。なぜか共通言語は誰の母語でもない英語だった。

アスナケが現れて全ての歯車がカチっと合った。

~UKANDANZはどのように結成されたのですか?


ダミアン(以下「ダ」)「僕はアスナケと『エチオピーク』のvol.15(Europe Meets Ethiopia Jump To Addis 2004年作)で共演していた。それ以来、彼とは連絡を取り合っていて、数年前にオランダのバンドThe EXのヨーロッパ・ツアーに彼が参加した際に再会した。3年ほど前だね。当時、僕たちは試行錯誤していたんだ。そこで彼と共演しようと思った。僕たちは既にエチオピアの音楽を演奏していたし、自分たちの曲も作っていた。彼にデモのCDを渡して「この曲を歌ってくれ」と頼んだ。すると彼は「こんな演奏で歌うなんてムリだよ!」と(笑)。それを無理矢理、彼に聞かせてね」


~なるほど、UKANDANZはアスナケに会う前から存在していたのですね。


リオネル(以下「リ」)「そう。はじめは普通のポップを演奏していたんだ。ダミアンとは16歳の頃からの友達で、当時は二人でジャズを演奏した。その後、ダミアンはアムステルダムに引越し、再びフランスに戻ってきた時、一緒にバンドをやろうと誘われた。その頃はまだ自分たちのスタイルはなかった。だから、いろんな音楽を演奏した。ストーンズやザ・キュアーの曲からエチオピアの音楽まで。するとある時、お客さんに「君たちは何をやりたいんだ?」と言われた。そこで僕たちは話し合い、エチオピア音楽の方向を向いたんだ」


ダ「アスナケが現れて、全ての歯車がカチっと合ったんだ。その後、友人で『エチオピーク』のプロデューサーであるフランシス・ファルセトから電話があり、アジスアベバで行われる音楽フェスティバルに誘われた。そこで、僕はアスナケを迎えた新しいバンドのことを彼に伝えた。そして、アジスでアスナケとともにリハーサルを三日間行い、今に至るバンドの形が出来上がった。その頃は今よりもジャズや即興の要素が強かったけれど、次第にロック的になり、自分たちの音とスタイルが見つかった。革命というのは常に一瞬で起きるんだ」


~最初にエチオピア音楽を聞いたのはいつでしたか?


ダ「1999年に学術的なプロジェクトでエチオピアを最初に訪れた時。その頃、僕はアムステルダムの音楽学校の生徒で、エチオピアについて何も知らなかった。でも、エチオピアに二ヶ月半滞在し、歴史や文化を知り、音楽を聞き、その奥深さに感動した。実はそこでフランシスに出会ったんだ。彼が僕にイニシエーションを与えてくれた。僕たちは毎晩のように一緒にアズマリ(演歌~民謡歌手)が出演するクラブ(沖縄の民謡酒場のようなもの)に行った。そこで二時間ほど音楽を聞き、つまらなければ別のドアを叩く。そうやって長い時間を過ごし、様々な歌手、様々な伝統音楽を無数に聞いた。素晴らしい経験だった。そうしたアズマリのクラブの多くは既に失われてしまった。エチオピアは急速に変化しているんだ」

アスナケが現れて全ての歯車がカチっと合った。

~UKANDANZはどのように結成されたのですか?


ダミアン(以下「ダ」)「僕はアスナケと『エチオピーク』のvol.15(Europe Meets Ethiopia Jump To Addis 2004年作)で共演していた。それ以来、彼とは連絡を取り合っていて、数年前にオランダのバンドThe EXのヨーロッパ・ツアーに彼が参加した際に再会した。3年ほど前だね。当時、僕たちは試行錯誤していたんだ。そこで彼と共演しようと思った。僕たちは既にエチオピアの音楽を演奏していたし、自分たちの曲も作っていた。彼にデモのCDを渡して「この曲を歌ってくれ」と頼んだ。すると彼は「こんな演奏で歌うなんてムリだよ!」と(笑)。それを無理矢理、彼に聞かせてね」


~なるほど、UKANDANZはアスナケに会う前から存在していたのですね。


リオネル(以下「リ」)「そう。はじめは普通のポップを演奏していたんだ。ダミアンとは16歳の頃からの友達で、当時は二人でジャズを演奏した。その後、ダミアンはアムステルダムに引越し、再びフランスに戻ってきた時、一緒にバンドをやろうと誘われた。その頃はまだ自分たちのスタイルはなかった。だから、いろんな音楽を演奏した。ストーンズやザ・キュアーの曲からエチオピアの音楽まで。するとある時、お客さんに「君たちは何をやりたいんだ?」と言われた。そこで僕たちは話し合い、エチオピア音楽の方向を向いたんだ」


ダ「アスナケが現れて、全ての歯車がカチっと合ったんだ。その後、友人で『エチオピーク』のプロデューサーであるフランシス・ファルセトから電話があり、アジスアベバで行われる音楽フェスティバルに誘われた。そこで、僕はアスナケを迎えた新しいバンドのことを彼に伝えた。そして、アジスでアスナケとともにリハーサルを三日間行い、今に至るバンドの形が出来上がった。その頃は今よりもジャズや即興の要素が強かったけれど、次第にロック的になり、自分たちの音とスタイルが見つかった。革命というのは常に一瞬で起きるんだ」


~最初にエチオピア音楽を聞いたのはいつでしたか?


ダ「1999年に学術的なプロジェクトでエチオピアを最初に訪れた時。その頃、僕はアムステルダムの音楽学校の生徒で、エチオピアについて何も知らなかった。でも、エチオピアに二ヶ月半滞在し、歴史や文化を知り、音楽を聞き、その奥深さに感動した。実はそこでフランシスに出会ったんだ。彼が僕にイニシエーションを与えてくれた。僕たちは毎晩のように一緒にアズマリ(演歌~民謡歌手)が出演するクラブ(沖縄の民謡酒場のようなもの)に行った。そこで二時間ほど音楽を聞き、つまらなければ別のドアを叩く。そうやって長い時間を過ごし、様々な歌手、様々な伝統音楽を無数に聞いた。素晴らしい経験だった。そうしたアズマリのクラブの多くは既に失われてしまった。エチオピアは急速に変化しているんだ」

アスナケが現れて全ての歯車がカチっと合った。

~UKANDANZはどのように結成されたのですか?


ダミアン(以下「ダ」)「僕はアスナケと『エチオピーク』のvol.15(Europe Meets Ethiopia Jump To Addis 2004年作)で共演していた。それ以来、彼とは連絡を取り合っていて、数年前にオランダのバンドThe EXのヨーロッパ・ツアーに彼が参加した際に再会した。3年ほど前だね。当時、僕たちは試行錯誤していたんだ。そこで彼と共演しようと思った。僕たちは既にエチオピアの音楽を演奏していたし、自分たちの曲も作っていた。彼にデモのCDを渡して「この曲を歌ってくれ」と頼んだ。すると彼は「こんな演奏で歌うなんてムリだよ!」と(笑)。それを無理矢理、彼に聞かせてね」


~なるほど、UKANDANZはアスナケに会う前から存在していたのですね。


リオネル(以下「リ」)「そう。はじめは普通のポップを演奏していたんだ。ダミアンとは16歳の頃からの友達で、当時は二人でジャズを演奏した。その後、ダミアンはアムステルダムに引越し、再びフランスに戻ってきた時、一緒にバンドをやろうと誘われた。その頃はまだ自分たちのスタイルはなかった。だから、いろんな音楽を演奏した。ストーンズやザ・キュアーの曲からエチオピアの音楽まで。するとある時、お客さんに「君たちは何をやりたいんだ?」と言われた。そこで僕たちは話し合い、エチオピア音楽の方向を向いたんだ」


ダ「アスナケが現れて、全ての歯車がカチっと合ったんだ。その後、友人で『エチオピーク』のプロデューサーであるフランシス・ファルセトから電話があり、アジスアベバで行われる音楽フェスティバルに誘われた。そこで、僕はアスナケを迎えた新しいバンドのことを彼に伝えた。そして、アジスでアスナケとともにリハーサルを三日間行い、今に至るバンドの形が出来上がった。その頃は今よりもジャズや即興の要素が強かったけれど、次第にロック的になり、自分たちの音とスタイルが見つかった。革命というのは常に一瞬で起きるんだ」


~最初にエチオピア音楽を聞いたのはいつでしたか?


ダ「1999年に学術的なプロジェクトでエチオピアを最初に訪れた時。その頃、僕はアムステルダムの音楽学校の生徒で、エチオピアについて何も知らなかった。でも、エチオピアに二ヶ月半滞在し、歴史や文化を知り、音楽を聞き、その奥深さに感動した。実はそこでフランシスに出会ったんだ。彼が僕にイニシエーションを与えてくれた。僕たちは毎晩のように一緒にアズマリ(演歌~民謡歌手)が出演するクラブ(沖縄の民謡酒場のようなもの)に行った。そこで二時間ほど音楽を聞き、つまらなければ別のドアを叩く。そうやって長い時間を過ごし、様々な歌手、様々な伝統音楽を無数に聞いた。素晴らしい経験だった。そうしたアズマリのクラブの多くは既に失われてしまった。エチオピアは急速に変化しているんだ」

CLIP UKANDANZ

from the 1st.Album "Yetchalal"

CLIP UKANDANZ

from the 1st.Album "Yetchalal"

CLIP UKANDANZ

from the 1st.Album "Yetchalal"

初めて聞くと、一体どこの国の音楽なのかわからない

~アスナケから見て、エチオピアの音楽と西洋の音楽の違いは?


アスナケ「西洋音楽は重いですね。ジャズをはじめ、どの音楽も重く感じました。でも、UKANDANZで歌うようになって、今ではとてもシンプルに感じています」


~現在エチオピア音楽は世界的に注目されていますが、それは何故だと思いますか。


ダ「今、世界的に広まっているエチオピア音楽は現在のエチオピア音楽ではなく、1950、60、70年代の音楽だ。世界の人々は現在のエチオピア音楽については何も知らない。当時のエチオピア音楽はファンクやジャズの要素が強かったので、現在の世界的な音楽の嗜好と合うんだ。それに対し、現在のエチオピア音楽は基本的にキーボード中心の電子サウンド。素晴らしい歌手や音楽家も沢山いる。1991年にメンギスツの独裁政権が倒れて、それから音楽は再び花咲き始めた。今は振り出しに戻った状態だね。学校でも音楽教育が再開し、アメリカに留まっていた若い才能のある音楽家たちが戻ってきた。彼らは音楽スタジオを開き、新しい機材と録音の技術や知識を持ち込んでいるよ」


~新しいエチオピア音楽がもっと届くことを願っています。それに貴方たちのようにエチオピア音楽を演奏する西洋人音楽家も増えましたね。


ダ「エチオピア音楽はペンタトニック・スケール、ダンサブルで、歌声が強烈、そして何よりもパワフルだから、誰もが好きになるんだ。初めて聞くと、一体どこの国の音楽なのかわからない。それでもアフリカのどこかの音楽とはなんとなくわかるだろう」

初めて聞くと、一体どこの国の音楽なのかわからない

~アスナケから見て、エチオピアの音楽と西洋の音楽の違いは?


アスナケ「西洋音楽は重いですね。ジャズをはじめ、どの音楽も重く感じました。でも、UKANDANZで歌うようになって、今ではとてもシンプルに感じています」


~現在エチオピア音楽は世界的に注目されていますが、それは何故だと思いますか。


ダ「今、世界的に広まっているエチオピア音楽は現在のエチオピア音楽ではなく、1950、60、70年代の音楽だ。世界の人々は現在のエチオピア音楽については何も知らない。当時のエチオピア音楽はファンクやジャズの要素が強かったので、現在の世界的な音楽の嗜好と合うんだ。それに対し、現在のエチオピア音楽は基本的にキーボード中心の電子サウンド。素晴らしい歌手や音楽家も沢山いる。1991年にメンギスツの独裁政権が倒れて、それから音楽は再び花咲き始めた。今は振り出しに戻った状態だね。学校でも音楽教育が再開し、アメリカに留まっていた若い才能のある音楽家たちが戻ってきた。彼らは音楽スタジオを開き、新しい機材と録音の技術や知識を持ち込んでいるよ」


~新しいエチオピア音楽がもっと届くことを願っています。それに貴方たちのようにエチオピア音楽を演奏する西洋人音楽家も増えましたね。


ダ「エチオピア音楽はペンタトニック・スケール、ダンサブルで、歌声が強烈、そして何よりもパワフルだから、誰もが好きになるんだ。初めて聞くと、一体どこの国の音楽なのかわからない。それでもアフリカのどこかの音楽とはなんとなくわかるだろう」

初めて聞くと、一体どこの国の音楽なのかわからない

~アスナケから見て、エチオピアの音楽と西洋の音楽の違いは?


アスナケ「西洋音楽は重いですね。ジャズをはじめ、どの音楽も重く感じました。でも、UKANDANZで歌うようになって、今ではとてもシンプルに感じています」


~現在エチオピア音楽は世界的に注目されていますが、それは何故だと思いますか。


ダ「今、世界的に広まっているエチオピア音楽は現在のエチオピア音楽ではなく、1950、60、70年代の音楽だ。世界の人々は現在のエチオピア音楽については何も知らない。当時のエチオピア音楽はファンクやジャズの要素が強かったので、現在の世界的な音楽の嗜好と合うんだ。それに対し、現在のエチオピア音楽は基本的にキーボード中心の電子サウンド。素晴らしい歌手や音楽家も沢山いる。1991年にメンギスツの独裁政権が倒れて、それから音楽は再び花咲き始めた。今は振り出しに戻った状態だね。学校でも音楽教育が再開し、アメリカに留まっていた若い才能のある音楽家たちが戻ってきた。彼らは音楽スタジオを開き、新しい機材と録音の技術や知識を持ち込んでいるよ」


~新しいエチオピア音楽がもっと届くことを願っています。それに貴方たちのようにエチオピア音楽を演奏する西洋人音楽家も増えましたね。


ダ「エチオピア音楽はペンタトニック・スケール、ダンサブルで、歌声が強烈、そして何よりもパワフルだから、誰もが好きになるんだ。初めて聞くと、一体どこの国の音楽なのかわからない。それでもアフリカのどこかの音楽とはなんとなくわかるだろう」

"SEMA" (Ethiosonic) Video Clip by uKanDanZ

from the 1st.Album "Yetchalal"

"SEMA" (Ethiosonic) Video Clip by uKanDanZ

from the 1st.Album "Yetchalal"

"SEMA" (Ethiosonic) Video Clip by uKanDanZ

from the 1st.Album "Yetchalal"

エチオピアン・ロック・サウンド
それこそ僕たちがやろうとしていること

リ「エチオピアは人類の起源の場所だからね(笑)。現代社会で多くの西洋人は道を失っている。コンピューターと仮想現実によって、自分は一体どこで生きているのだろうと思うこともある。そんな時にはルーツを感じる、ルーツを探すことがとても重要だ。エチオピア音楽の興味深い点は、とても現代的であるのと同時に根源的なことだ。アフリカ諸国の多くは植民地支配によって過去との断絶が起きた。しかし、植民地支配を受けていないエチオピアにはそうした断絶がない。そのため、人々は常にルーツとの繋がりを感じている。フランスでも革命によって大きな断絶が生まれた。僕たちにはルーツは明解なものではないんだ」


ダ「エチオピア音楽はファンクであり、ジャズである。しかし、彼らはロックを通っていない。僕が子供の頃はロックの時代だった。ギターを持ったら、ディストーションをかけて、リフを弾くのがあたり前だった。かつてアメリカに連れて行かれた黒人奴隷たちがギターを手にして、ぞんざいに弾くと、それがブルースになった。後にそれをアメリカ人やイギリス人が真似して大きなアンプを通して弾くと、ロックが生まれた。エチオピア人はそんなロックを通っていないんだ。それだけに、彼らがロックを演奏すると普通のロックからは遠く離れたものになる。ロックの暴力性は彼らの文化には存在しない。男性の長髪文化はないし、中指を立てることもない(笑)。しかし、音楽のエナジーはロック以上だ。リフを中心としたロックを演奏するエチオピア音楽=エチオピアン・ロック・サウンド、それこそ僕たちがやろうとしていることなんだ。待てよ。今までこんなことをきちんと考えて、口にしたことはなかったよ」


~時にはインタビューも役立つということです。普段は退屈でしょうけどね(笑)。最後に『ユー・キャン・ダンス』というバンド名はどこから?


リ「マドンナの曲名から点けたんだよ(爆笑)」


ダ「僕たちの曲には踊りにくいリズムの曲もあって、最初は踊ってくれる人は本当に少なかった。だから「それでも踊れるよ!」という意味もある。アスナケが加入した途端にみんなが踊ってくれるようになったんだ」

エチオピアン・ロック・サウンド
それこそ僕たちがやろうとしていること

リ「エチオピアは人類の起源の場所だからね(笑)。現代社会で多くの西洋人は道を失っている。コンピューターと仮想現実によって、自分は一体どこで生きているのだろうと思うこともある。そんな時にはルーツを感じる、ルーツを探すことがとても重要だ。エチオピア音楽の興味深い点は、とても現代的であるのと同時に根源的なことだ。アフリカ諸国の多くは植民地支配によって過去との断絶が起きた。しかし、植民地支配を受けていないエチオピアにはそうした断絶がない。そのため、人々は常にルーツとの繋がりを感じている。フランスでも革命によって大きな断絶が生まれた。僕たちにはルーツは明解なものではないんだ」


ダ「エチオピア音楽はファンクであり、ジャズである。しかし、彼らはロックを通っていない。僕が子供の頃はロックの時代だった。ギターを持ったら、ディストーションをかけて、リフを弾くのがあたり前だった。かつてアメリカに連れて行かれた黒人奴隷たちがギターを手にして、ぞんざいに弾くと、それがブルースになった。後にそれをアメリカ人やイギリス人が真似して大きなアンプを通して弾くと、ロックが生まれた。エチオピア人はそんなロックを通っていないんだ。それだけに、彼らがロックを演奏すると普通のロックからは遠く離れたものになる。ロックの暴力性は彼らの文化には存在しない。男性の長髪文化はないし、中指を立てることもない(笑)。しかし、音楽のエナジーはロック以上だ。リフを中心としたロックを演奏するエチオピア音楽=エチオピアン・ロック・サウンド、それこそ僕たちがやろうとしていることなんだ。待てよ。今までこんなことをきちんと考えて、口にしたことはなかったよ」


~時にはインタビューも役立つということです。普段は退屈でしょうけどね(笑)。最後に『ユー・キャン・ダンス』というバンド名はどこから?


リ「マドンナの曲名から点けたんだよ(爆笑)」


ダ「僕たちの曲には踊りにくいリズムの曲もあって、最初は踊ってくれる人は本当に少なかった。だから「それでも踊れるよ!」という意味もある。アスナケが加入した途端にみんなが踊ってくれるようになったんだ」

エチオピアン・ロック・サウンド
それこそ僕たちがやろうとしていること

リ「エチオピアは人類の起源の場所だからね(笑)。現代社会で多くの西洋人は道を失っている。コンピューターと仮想現実によって、自分は一体どこで生きているのだろうと思うこともある。そんな時にはルーツを感じる、ルーツを探すことがとても重要だ。エチオピア音楽の興味深い点は、とても現代的であるのと同時に根源的なことだ。アフリカ諸国の多くは植民地支配によって過去との断絶が起きた。しかし、植民地支配を受けていないエチオピアにはそうした断絶がない。そのため、人々は常にルーツとの繋がりを感じている。フランスでも革命によって大きな断絶が生まれた。僕たちにはルーツは明解なものではないんだ」


ダ「エチオピア音楽はファンクであり、ジャズである。しかし、彼らはロックを通っていない。僕が子供の頃はロックの時代だった。ギターを持ったら、ディストーションをかけて、リフを弾くのがあたり前だった。かつてアメリカに連れて行かれた黒人奴隷たちがギターを手にして、ぞんざいに弾くと、それがブルースになった。後にそれをアメリカ人やイギリス人が真似して大きなアンプを通して弾くと、ロックが生まれた。エチオピア人はそんなロックを通っていないんだ。それだけに、彼らがロックを演奏すると普通のロックからは遠く離れたものになる。ロックの暴力性は彼らの文化には存在しない。男性の長髪文化はないし、中指を立てることもない(笑)。しかし、音楽のエナジーはロック以上だ。リフを中心としたロックを演奏するエチオピア音楽=エチオピアン・ロック・サウンド、それこそ僕たちがやろうとしていることなんだ。待てよ。今までこんなことをきちんと考えて、口にしたことはなかったよ」


~時にはインタビューも役立つということです。普段は退屈でしょうけどね(笑)。最後に『ユー・キャン・ダンス』というバンド名はどこから?


リ「マドンナの曲名から点けたんだよ(爆笑)」


ダ「僕たちの曲には踊りにくいリズムの曲もあって、最初は踊ってくれる人は本当に少なかった。だから「それでも踊れるよ!」という意味もある。アスナケが加入した途端にみんなが踊ってくれるようになったんだ」

 UKANDANZ "Yetcalal" (2012)

 

 UKANDANZ "Yetcalal" (2012)

 

 UKANDANZ "Yetcalal" (2012)

 

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