Mariana Baraj

2013年8月、富山県南砺市で20年以上の歴史を持つワールドミュージックフェス「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」出演のため三度目の来日を果たしたアルゼンチンの女性シンガーソングライター、マリアナ・バラフ。直前にリリースされた5thアルバム『サングレ・ブエナ』では繊細な西洋起源のハーモニーと先住民のヴィヴィッドなメロディーが溶け合うアルゼンチンのフォルクローレに、ジャズやエレクトロニカ、音響派を通過したサウンド・プロダクション、さらにそこに女性ならではのポップさ、モダンさが溶け合っていた。エッジが立っているのに同時に童謡のようにやさしいのだ。これはいったいどういう音楽なんだ? アルゼンチンには行ったことのない僕だが、彼女に話を聞きたくなった。

スキヤキで
マリアナは大太鼓をかかえてたたきながら可憐な声で歌い、ソロ演奏だけでなく、地元の女子中学生のコーラス隊を指導&プロデュースし、アルゼンチンの重鎮ピアニスト、ウーゴ・ファットルーソらとも共演するなど、三日間出突っ張りで、まさに2013年のスキヤキの顔だった。僕はそんな会場の一角でマリアナをつかまえた。

Mariana Baraj

2013年8月、富山県南砺市で20年以上の歴史を持つワールドミュージックフェス「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」出演のため三度目の来日を果たしたアルゼンチンの女性シンガーソングライター、マリアナ・バラフ。直前にリリースされた5thアルバム『サングレ・ブエナ』では繊細な西洋起源のハーモニーと先住民のヴィヴィッドなメロディーが溶け合うアルゼンチンのフォルクローレに、ジャズやエレクトロニカ、音響派を通過したサウンド・プロダクション、さらにそこに女性ならではのポップさ、モダンさが溶け合っていた。エッジが立っているのに同時に童謡のようにやさしいのだ。これはいったいどういう音楽なんだ? アルゼンチンには行ったことのない僕だが、彼女に話を聞きたくなった。

スキヤキで
マリアナは大太鼓をかかえてたたきながら可憐な声で歌い、ソロ演奏だけでなく、地元の女子中学生のコーラス隊を指導&プロデュースし、アルゼンチンの重鎮ピアニスト、ウーゴ・ファットルーソらとも共演するなど、三日間出突っ張りで、まさに2013年のスキヤキの顔だった。僕はそんな会場の一角でマリアナをつかまえた。

Mariana Baraj

2013年8月、富山県南砺市で20年以上の歴史を持つワールドミュージックフェス「スキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド」出演のため三度目の来日を果たしたアルゼンチンの女性シンガーソングライター、マリアナ・バラフ。直前にリリースされた5thアルバム『サングレ・ブエナ』では繊細な西洋起源のハーモニーと先住民のヴィヴィッドなメロディーが溶け合うアルゼンチンのフォルクローレに、ジャズやエレクトロニカ、音響派を通過したサウンド・プロダクション、さらにそこに女性ならではのポップさ、モダンさが溶け合っていた。エッジが立っているのに同時に童謡のようにやさしいのだ。これはいったいどういう音楽なんだ? アルゼンチンには行ったことのない僕だが、彼女に話を聞きたくなった。

スキヤキで
マリアナは大太鼓をかかえてたたきながら可憐な声で歌い、ソロ演奏だけでなく、地元の女子中学生のコーラス隊を指導&プロデュースし、アルゼンチンの重鎮ピアニスト、ウーゴ・ファットルーソらとも共演するなど、三日間出突っ張りで、まさに2013年のスキヤキの顔だった。僕はそんな会場の一角でマリアナをつかまえた。

新作はフォルクローレの町サルタで作りました

~僕は貴女の音楽は三作目の『マルガリータと白百合』から聴いています。しかし、僕はアルゼンチンに南米にも行ったことがありません。なので、どういう環境から貴女の音楽が生まれるのか想像もつかないんです。

 

「最初のアルバム『Lumbre』(2002年)は、ユパンキらフォルクローレの大御所たちに影響を受けつつ、自分なりの何かを表現したいとの思いで作りました。次の『Deslumbre』(2005年)もその延長で、アルゼンチンのジャズからの影響も取り入れました。三枚目の『マルガリータと白百合』(2007年)ではさらにその世界を広げました。そして、四枚目の『チュリータ』(2010年)から私にとっての次のステップが始まりました。そこで作曲家としての自分を強く出しました。最新作『サングレ・ブエナ』はその続きです」
 
~確かに『チュリータ』からとても女性的になり、『サングレ・ブエナ』はさらにメロディーがポップになりましたね。

 

「凝ったものや、洗練されたもの、ジャズのような即興性の強いものを作ってきましたが、『チュリータ』以降はアレンジまでもっとシンプルにしました。そこには二つの原因があります。一つは自分自身が自然に変化していったことです。人生に様々な事が起きて、それを直接的ではなく、間接的に音楽の中で表現するようになりました。もう一つは三年前、生まれ育ったブエノスアイレスからアルゼンチン北部の田舎町サルタに引っ越したことです。サルタはフォルクローレの宝庫なんです。『サングレ・ブエナ』はサルタで作りました」
 
~サルタはブエノスアイレスから遠いのですか。

 

「ブエノスアイレスから北に1800km、車で20時間、飛行機でも二時間かかります。私の家は本当の田舎にありますが、サルタはちょっとした町ですよ。それでもブエノスアイレスに帰るとニューヨークに来たような気分になります(笑)」

新作はフォルクローレの町サルタで作りました

~僕は貴女の音楽は三作目の『マルガリータと白百合』から聴いています。しかし、僕はアルゼンチンに南米にも行ったことがありません。なので、どういう環境から貴女の音楽が生まれるのか想像もつかないんです。

 

「最初のアルバム『Lumbre』(2002年)は、ユパンキらフォルクローレの大御所たちに影響を受けつつ、自分なりの何かを表現したいとの思いで作りました。次の『Deslumbre』(2005年)もその延長で、アルゼンチンのジャズからの影響も取り入れました。三枚目の『マルガリータと白百合』(2007年)ではさらにその世界を広げました。そして、四枚目の『チュリータ』(2010年)から私にとっての次のステップが始まりました。そこで作曲家としての自分を強く出しました。最新作『サングレ・ブエナ』はその続きです」
 
~確かに『チュリータ』からとても女性的になり、『サングレ・ブエナ』はさらにメロディーがポップになりましたね。

 

「凝ったものや、洗練されたもの、ジャズのような即興性の強いものを作ってきましたが、『チュリータ』以降はアレンジまでもっとシンプルにしました。そこには二つの原因があります。一つは自分自身が自然に変化していったことです。人生に様々な事が起きて、それを直接的ではなく、間接的に音楽の中で表現するようになりました。もう一つは三年前、生まれ育ったブエノスアイレスからアルゼンチン北部の田舎町サルタに引っ越したことです。サルタはフォルクローレの宝庫なんです。『サングレ・ブエナ』はサルタで作りました」
 
~サルタはブエノスアイレスから遠いのですか。

 

「ブエノスアイレスから北に1800km、車で20時間、飛行機でも二時間かかります。私の家は本当の田舎にありますが、サルタはちょっとした町ですよ。それでもブエノスアイレスに帰るとニューヨークに来たような気分になります(笑)」

新作はフォルクローレの町サルタで作りました

~僕は貴女の音楽は三作目の『マルガリータと白百合』から聴いています。しかし、僕はアルゼンチンに南米にも行ったことがありません。なので、どういう環境から貴女の音楽が生まれるのか想像もつかないんです。

 

「最初のアルバム『Lumbre』(2002年)は、ユパンキらフォルクローレの大御所たちに影響を受けつつ、自分なりの何かを表現したいとの思いで作りました。次の『Deslumbre』(2005年)もその延長で、アルゼンチンのジャズからの影響も取り入れました。三枚目の『マルガリータと白百合』(2007年)ではさらにその世界を広げました。そして、四枚目の『チュリータ』(2010年)から私にとっての次のステップが始まりました。そこで作曲家としての自分を強く出しました。最新作『サングレ・ブエナ』はその続きです」
 
~確かに『チュリータ』からとても女性的になり、『サングレ・ブエナ』はさらにメロディーがポップになりましたね。

 

「凝ったものや、洗練されたもの、ジャズのような即興性の強いものを作ってきましたが、『チュリータ』以降はアレンジまでもっとシンプルにしました。そこには二つの原因があります。一つは自分自身が自然に変化していったことです。人生に様々な事が起きて、それを直接的ではなく、間接的に音楽の中で表現するようになりました。もう一つは三年前、生まれ育ったブエノスアイレスからアルゼンチン北部の田舎町サルタに引っ越したことです。サルタはフォルクローレの宝庫なんです。『サングレ・ブエナ』はサルタで作りました」
 
~サルタはブエノスアイレスから遠いのですか。

 

「ブエノスアイレスから北に1800km、車で20時間、飛行機でも二時間かかります。私の家は本当の田舎にありますが、サルタはちょっとした町ですよ。それでもブエノスアイレスに帰るとニューヨークに来たような気分になります(笑)」

CHURITA (Video Oficial)

2010年作『チュリータ』より

CHURITA (Video Oficial)

2010年作『チュリータ』より

CHURITA (Video Oficial)

2010年作『チュリータ』より

現代ではフォルクローレも変化しています

~日本では民謡とポップ音楽には完全な断絶があります。貴女の音楽を聞くと、アルゼンチンでは民謡とポップに断絶がないように感じます。

 

「確かにアルゼンチンではエレクトロニック・タンゴなど、伝統音楽と現代の音楽のミックスが盛んです。私は父が音楽家(ベルナルド・バラフ、ジャズを中心としたサックス奏者)、弟のマルセーロもドラマーという音楽一家に育ったので、なんでも聴きました。以前はフォルローレをやっている人とポップ音楽をやっている人はきっぱり分かれていました。でも、1970年代くらいからその壁が崩れてきて、その二つを一緒にしたほうが楽しいじゃないかとミックスを何の抵抗もなく行えるようになってきました。そうした最初の世代にはチャンゴ・ファリアス・ゴメスという人がいました。彼は視点がとてもオープンだったのです。チャンゴとは若い人という意味の敬称です。実は彼の妹マリアン・ファリアス・ゴメスが、今の私がやっているように、ボンボという太鼓を叩きながら歌っていました。私は彼女から影響を受けています」

 

~では今もフォルクローレとポップは別々に存在するのですか。

 

「若い人達の中にはフォルクローレなんて関係ないよ、という人もいます。フォルクローレは確固たるものというイメージがあるからでしょう。サルタには特に独自の世界があります。しかし、現代ではフォルクローレ自体も変化しています。そして、その変化が良い方向に進んでいることも多いのです」


~日本の音楽にも民謡とポップのミックスする動きが増えることを望んでいます。

 

「それはとても大事な事だと思います。誰かそれを引っ張る人が現れて、続けていけば変化が訪れますよ。私は以前から日本の伝統音楽の歌手と共演したいと思っています。スキヤキでも男性アーティストばかりで、女性のアーティストがとても少ないと思います。私は女性の音楽家同士で世界中を音楽と結びつけたいんです。女性の宇宙、世界をもっと広げたいと思っているので、日本人の女性アーティスト大歓迎です」

~それはとても面白そうですね。是非実現させて下さい! 

現代ではフォルクローレも変化しています

~日本では民謡とポップ音楽には完全な断絶があります。貴女の音楽を聞くと、アルゼンチンでは民謡とポップに断絶がないように感じます。

 

「確かにアルゼンチンではエレクトロニック・タンゴなど、伝統音楽と現代の音楽のミックスが盛んです。私は父が音楽家(ベルナルド・バラフ、ジャズを中心としたサックス奏者)、弟のマルセーロもドラマーという音楽一家に育ったので、なんでも聴きました。以前はフォルローレをやっている人とポップ音楽をやっている人はきっぱり分かれていました。でも、1970年代くらいからその壁が崩れてきて、その二つを一緒にしたほうが楽しいじゃないかとミックスを何の抵抗もなく行えるようになってきました。そうした最初の世代にはチャンゴ・ファリアス・ゴメスという人がいました。彼は視点がとてもオープンだったのです。チャンゴとは若い人という意味の敬称です。実は彼の妹マリアン・ファリアス・ゴメスが、今の私がやっているように、ボンボという太鼓を叩きながら歌っていました。私は彼女から影響を受けています」

 

~では今もフォルクローレとポップは別々に存在するのですか。

 

「若い人達の中にはフォルクローレなんて関係ないよ、という人もいます。フォルクローレは確固たるものというイメージがあるからでしょう。サルタには特に独自の世界があります。しかし、現代ではフォルクローレ自体も変化しています。そして、その変化が良い方向に進んでいることも多いのです」


~日本の音楽にも民謡とポップのミックスする動きが増えることを望んでいます。

 

「それはとても大事な事だと思います。誰かそれを引っ張る人が現れて、続けていけば変化が訪れますよ。私は以前から日本の伝統音楽の歌手と共演したいと思っています。スキヤキでも男性アーティストばかりで、女性のアーティストがとても少ないと思います。私は女性の音楽家同士で世界中を音楽と結びつけたいんです。女性の宇宙、世界をもっと広げたいと思っているので、日本人の女性アーティスト大歓迎です」

~それはとても面白そうですね。是非実現させて下さい! 

現代ではフォルクローレも変化しています

~日本では民謡とポップ音楽には完全な断絶があります。貴女の音楽を聞くと、アルゼンチンでは民謡とポップに断絶がないように感じます。

 

「確かにアルゼンチンではエレクトロニック・タンゴなど、伝統音楽と現代の音楽のミックスが盛んです。私は父が音楽家(ベルナルド・バラフ、ジャズを中心としたサックス奏者)、弟のマルセーロもドラマーという音楽一家に育ったので、なんでも聴きました。以前はフォルローレをやっている人とポップ音楽をやっている人はきっぱり分かれていました。でも、1970年代くらいからその壁が崩れてきて、その二つを一緒にしたほうが楽しいじゃないかとミックスを何の抵抗もなく行えるようになってきました。そうした最初の世代にはチャンゴ・ファリアス・ゴメスという人がいました。彼は視点がとてもオープンだったのです。チャンゴとは若い人という意味の敬称です。実は彼の妹マリアン・ファリアス・ゴメスが、今の私がやっているように、ボンボという太鼓を叩きながら歌っていました。私は彼女から影響を受けています」

 

~では今もフォルクローレとポップは別々に存在するのですか。

 

「若い人達の中にはフォルクローレなんて関係ないよ、という人もいます。フォルクローレは確固たるものというイメージがあるからでしょう。サルタには特に独自の世界があります。しかし、現代ではフォルクローレ自体も変化しています。そして、その変化が良い方向に進んでいることも多いのです」


~日本の音楽にも民謡とポップのミックスする動きが増えることを望んでいます。

 

「それはとても大事な事だと思います。誰かそれを引っ張る人が現れて、続けていけば変化が訪れますよ。私は以前から日本の伝統音楽の歌手と共演したいと思っています。スキヤキでも男性アーティストばかりで、女性のアーティストがとても少ないと思います。私は女性の音楽家同士で世界中を音楽と結びつけたいんです。女性の宇宙、世界をもっと広げたいと思っているので、日本人の女性アーティスト大歓迎です」

~それはとても面白そうですね。是非実現させて下さい! 

"SANGRE BUENA" en vivo

2013年アルバム『サングレ・ブエナ』から

"SANGRE BUENA" en vivo

2013年アルバム『サングレ・ブエナ』から

"SANGRE BUENA" en vivo

2013年アルバム『サングレ・ブエナ』から

サボテンに強い力を感じます。

二度目の出演となるスキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドについてお話下さい。

 

「世界中いろんなフェスティバルに出演していますが、スキヤキはやはり特別だと思います。とても考えられていてコンセプチャルであり、それに交流が出来る。子供から老人までが一緒に楽しめる。なおかつ芸術である。全員が芸術に関わっていると考えていることが重要だと思います」

 

~だから僕は東京ではなく、ここでインタビューを行いたかったんです。最後に腕のタトゥーは何を意味しているんですか。

 

「このタトゥーはサボテンの一種である『エル・カルドン』です。私の作った曲の名前でもあり、スキヤキではコーラス隊と一緒に歌った曲です。もう一つは新作の曲名でもある『グアダルーペの聖母』というメキシコで有名な聖母像です。沢山の奇跡を起こし世界中からの巡礼を集めています」

 

~その二つのモチーフは貴女の音楽にとって大切なものなんですね。

 

「そうです。アルゼンチンの北部にはサボテンが沢山生えていて、私はサボテンに強い力を感じます。長い間、風にさらされてようが何が起ころうが、そこに立ち続けているサボテン、そんなイメージです。そして、ここに書いてある「Mi Negrito」というのは「私の黒んぼちゃん」という意味です。夫の腕には「Mi Negrita」と掘っています(ともに黒人差別的な意味はない)。アルゼンチンでは親しい間柄では名前で呼ぶことはありません。「ネグラ」とか「ネグリータ」と呼ぶんです(笑)」

 

〜のろけ話をありがとうございました(笑)

 

(スペイン語通訳&取材コーディネート:アオラコーポレーション高橋めぐみ女史)

サボテンに強い力を感じます。

二度目の出演となるスキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドについてお話下さい。

 

「世界中いろんなフェスティバルに出演していますが、スキヤキはやはり特別だと思います。とても考えられていてコンセプチャルであり、それに交流が出来る。子供から老人までが一緒に楽しめる。なおかつ芸術である。全員が芸術に関わっていると考えていることが重要だと思います」

 

~だから僕は東京ではなく、ここでインタビューを行いたかったんです。最後に腕のタトゥーは何を意味しているんですか。

 

「このタトゥーはサボテンの一種である『エル・カルドン』です。私の作った曲の名前でもあり、スキヤキではコーラス隊と一緒に歌った曲です。もう一つは新作の曲名でもある『グアダルーペの聖母』というメキシコで有名な聖母像です。沢山の奇跡を起こし世界中からの巡礼を集めています」

 

~その二つのモチーフは貴女の音楽にとって大切なものなんですね。

 

「そうです。アルゼンチンの北部にはサボテンが沢山生えていて、私はサボテンに強い力を感じます。長い間、風にさらされてようが何が起ころうが、そこに立ち続けているサボテン、そんなイメージです。そして、ここに書いてある「Mi Negrito」というのは「私の黒んぼちゃん」という意味です。夫の腕には「Mi Negrita」と掘っています(ともに黒人差別的な意味はない)。アルゼンチンでは親しい間柄では名前で呼ぶことはありません。「ネグラ」とか「ネグリータ」と呼ぶんです(笑)」

 

〜のろけ話をありがとうございました(笑)

 

(スペイン語通訳&取材コーディネート:アオラコーポレーション高橋めぐみ女史)

サボテンに強い力を感じます。

二度目の出演となるスキヤキ・ミーツ・ザ・ワールドについてお話下さい。

 

「世界中いろんなフェスティバルに出演していますが、スキヤキはやはり特別だと思います。とても考えられていてコンセプチャルであり、それに交流が出来る。子供から老人までが一緒に楽しめる。なおかつ芸術である。全員が芸術に関わっていると考えていることが重要だと思います」

 

~だから僕は東京ではなく、ここでインタビューを行いたかったんです。最後に腕のタトゥーは何を意味しているんですか。

 

「このタトゥーはサボテンの一種である『エル・カルドン』です。私の作った曲の名前でもあり、スキヤキではコーラス隊と一緒に歌った曲です。もう一つは新作の曲名でもある『グアダルーペの聖母』というメキシコで有名な聖母像です。沢山の奇跡を起こし世界中からの巡礼を集めています」

 

~その二つのモチーフは貴女の音楽にとって大切なものなんですね。

 

「そうです。アルゼンチンの北部にはサボテンが沢山生えていて、私はサボテンに強い力を感じます。長い間、風にさらされてようが何が起ころうが、そこに立ち続けているサボテン、そんなイメージです。そして、ここに書いてある「Mi Negrito」というのは「私の黒んぼちゃん」という意味です。夫の腕には「Mi Negrita」と掘っています(ともに黒人差別的な意味はない)。アルゼンチンでは親しい間柄では名前で呼ぶことはありません。「ネグラ」とか「ネグリータ」と呼ぶんです(笑)」

 

〜のろけ話をありがとうございました(笑)

 

(スペイン語通訳&取材コーディネート:アオラコーポレーション高橋めぐみ女史)

 Mariana Baraj "Sangre Buena" (2013)

 

 Mariana Baraj "Sangre Buena" (2013)

 

 Mariana Baraj "Sangre Buena" (2013)

 

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