Mark Gergis
from Sublime Frequencies
from Sublime Frequencies
2013年7月に東京、静岡、神戸、熊本、沖縄で開催された「The Sublime Frequencies a-Go-Go Mark Gergis Japan Tour」、僕に言わせれば日本のクラブ史上に残る奇跡的なツアーだった。
Sublime Frequencies(サブライム・フリークェンシーズ)はSun City GirlsのAlan Bishop(アラン・ビショップ)が主宰となり、Mark Gergis(マーク・ジャーギス)らと2002年にアメリカ・シアトルで設立されたレーベル。アランやマークたちが東南アジア、南アジア、アフリカなど、非欧米圏への旅を通じて、買い集めた現地のレコード盤、テープ、映画、テレビ・ラジオ番組といったヴィンテージ音源や映像を紹介するレーベルである。中でもマークが見いだし世界的な存在となったのが、2013年12月には初来日を果たしたシリアのダンス音楽ダブケの怪人、オマール・スレイマンだ。彼らはワールドミュージックのマニアにも見向きもされない、エレクトロニック化した現地のダサダサな大衆音楽を、同時代に発生しているストリートのパンクやヒップホップや実験音楽のバリエーションとして聴くという新しい視点を西洋や日本の音楽ファンにもたらしたのだ。
そのマークが初来日し、全国ツアーを行った。オーガナイザーはヒゲの未亡人こと岸野雄一。僕は7月19日に東京六本木のSuper Deluxe公演でDJとして参加した。ほかにはタイのレアグルーヴばかりを7インチでプレイするsoi48、幻の名盤解放同盟 (根本敬、湯浅学、船橋英雄)、更にあらゆるジャンルに精通するDJの中のDJ、MOODMANとBing a.k.a Toshio Kajiwaraらが参加し、オープンから明け方のクローズまで、タイのルークトゥンや日本の演歌、韓国のポンチャックや中華マレーのジャズ、シリアのダブケやインドのボリウッド音楽など、星の数ほどあるだろう東京のクラブにおいてもほとんど耳にすることのないダッサい音楽、いわば「アウトサイダー音楽」だけが流れ、それを満員のお客さんがニコニコしながら踊るというとんでもない光景が僕の目の前に広がったのだ。普通、クラブではジャズやソウルのようなお洒落な音楽やメロディーの少ない音響的に特化した電子音楽が流れるものである。それなのに、この晩はタイ演歌やポンチャックのキッツい二日酔いしそうなメロディーばかり! ちょうど、僕が2003年に中東やインドの音楽のDJを始めてから10年が経つ。まさか日本でこんな音楽を愛するDJたちやお客さんが集うようになるとは思いも寄らなかった。
Mark Gergis
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2013年7月に東京、静岡、神戸、熊本、沖縄で開催された「The Sublime Frequencies a-Go-Go Mark Gergis Japan Tour」、僕に言わせれば日本のクラブ史上に残る奇跡的なツアーだった。
Sublime Frequencies(サブライム・フリークェンシーズ)はSun City GirlsのAlan Bishop(アラン・ビショップ)が主宰となり、Mark Gergis(マーク・ジャーギス)らと2002年にアメリカ・シアトルで設立されたレーベル。アランやマークたちが東南アジア、南アジア、アフリカなど、非欧米圏への旅を通じて、買い集めた現地のレコード盤、テープ、映画、テレビ・ラジオ番組といったヴィンテージ音源や映像を紹介するレーベルである。中でもマークが見いだし世界的な存在となったのが、2013年12月には初来日を果たしたシリアのダンス音楽ダブケの怪人、オマール・スレイマンだ。彼らはワールドミュージックのマニアにも見向きもされない、エレクトロニック化した現地のダサダサな大衆音楽を、同時代に発生しているストリートのパンクやヒップホップや実験音楽のバリエーションとして聴くという新しい視点を西洋や日本の音楽ファンにもたらしたのだ。
そのマークが初来日し、全国ツアーを行った。オーガナイザーはヒゲの未亡人こと岸野雄一。僕は7月19日に東京六本木のSuper Deluxe公演でDJとして参加した。ほかにはタイのレアグルーヴばかりを7インチでプレイするsoi48、幻の名盤解放同盟 (根本敬、湯浅学、船橋英雄)、更にあらゆるジャンルに精通するDJの中のDJ、MOODMANとBing a.k.a Toshio Kajiwaraらが参加し、オープンから明け方のクローズまで、タイのルークトゥンや日本の演歌、韓国のポンチャックや中華マレーのジャズ、シリアのダブケやインドのボリウッド音楽など、星の数ほどあるだろう東京のクラブにおいてもほとんど耳にすることのないダッサい音楽、いわば「アウトサイダー音楽」だけが流れ、それを満員のお客さんがニコニコしながら踊るというとんでもない光景が僕の目の前に広がったのだ。普通、クラブではジャズやソウルのようなお洒落な音楽やメロディーの少ない音響的に特化した電子音楽が流れるものである。それなのに、この晩はタイ演歌やポンチャックのキッツい二日酔いしそうなメロディーばかり! ちょうど、僕が2003年に中東やインドの音楽のDJを始めてから10年が経つ。まさか日本でこんな音楽を愛するDJたちやお客さんが集うようになるとは思いも寄らなかった。
Mark Gergis
from Sublime Frequencies
from Sublime Frequencies
2013年7月に東京、静岡、神戸、熊本、沖縄で開催された「The Sublime Frequencies a-Go-Go Mark Gergis Japan Tour」、僕に言わせれば日本のクラブ史上に残る奇跡的なツアーだった。
Sublime Frequencies(サブライム・フリークェンシーズ)はSun City GirlsのAlan Bishop(アラン・ビショップ)が主宰となり、Mark Gergis(マーク・ジャーギス)らと2002年にアメリカ・シアトルで設立されたレーベル。アランやマークたちが東南アジア、南アジア、アフリカなど、非欧米圏への旅を通じて、買い集めた現地のレコード盤、テープ、映画、テレビ・ラジオ番組といったヴィンテージ音源や映像を紹介するレーベルである。中でもマークが見いだし世界的な存在となったのが、2013年12月には初来日を果たしたシリアのダンス音楽ダブケの怪人、オマール・スレイマンだ。彼らはワールドミュージックのマニアにも見向きもされない、エレクトロニック化した現地のダサダサな大衆音楽を、同時代に発生しているストリートのパンクやヒップホップや実験音楽のバリエーションとして聴くという新しい視点を西洋や日本の音楽ファンにもたらしたのだ。
そのマークが初来日し、全国ツアーを行った。オーガナイザーはヒゲの未亡人こと岸野雄一。僕は7月19日に東京六本木のSuper Deluxe公演でDJとして参加した。ほかにはタイのレアグルーヴばかりを7インチでプレイするsoi48、幻の名盤解放同盟 (根本敬、湯浅学、船橋英雄)、更にあらゆるジャンルに精通するDJの中のDJ、MOODMANとBing a.k.a Toshio Kajiwaraらが参加し、オープンから明け方のクローズまで、タイのルークトゥンや日本の演歌、韓国のポンチャックや中華マレーのジャズ、シリアのダブケやインドのボリウッド音楽など、星の数ほどあるだろう東京のクラブにおいてもほとんど耳にすることのないダッサい音楽、いわば「アウトサイダー音楽」だけが流れ、それを満員のお客さんがニコニコしながら踊るというとんでもない光景が僕の目の前に広がったのだ。普通、クラブではジャズやソウルのようなお洒落な音楽やメロディーの少ない音響的に特化した電子音楽が流れるものである。それなのに、この晩はタイ演歌やポンチャックのキッツい二日酔いしそうなメロディーばかり! ちょうど、僕が2003年に中東やインドの音楽のDJを始めてから10年が経つ。まさか日本でこんな音楽を愛するDJたちやお客さんが集うようになるとは思いも寄らなかった。
旅先で沢山カセットを買い、その中にオマールスレイマンを見つけた
M「1990年、20歳になり、アメリカが湾岸戦争を起こした時、初めて父親の国イラクとその音楽、そして、世界がどう回っているかに気づいたんだ。それからスミソニアン・フォークウェイズやアラン・ローマックスによるフィールド録音、ポール・ボウルズによるモロッコの録音などを聞きあさった。でも当時、流行していたオーバー・プロデュースされたワールドミュージックの多くには全然興味を持てなかった。それと同時にアンダーグラウンドな音楽にも深入りし、バンドを組んでライブを行うようになった。
アンダーグラウンドな実験音楽はもちろん、世界中から届く実験的なサウンドにも興味がわいた。そうした世界の音楽は西洋音楽的な意味で「実験的=エクスペリメンタル」であるわけではなく、単純に録音技術がひどくて音が割れているだけだったりもしたけど(笑)、それでも彼らは文字通り実験的なんだ。なぜなら彼らにとって電子楽器は初めてのものだったから。スタジオでの全ての作業が実験の繰り返しだったんだ。僕はそうした音楽にとても惹かれていった。僕は旅先で沢山のカセットを買い、その中にオマール・スレイマンを見つけた。シリアには他にもダブケの歌手が沢山いたけど、彼はとても速いテンポで生々しく歌っていた。「これはいったい何なんだ! もう1本カセットをくれ!」とハマっていったんだ。
そして、2002年にアラン・ビショップに出会った。初期のサブライムの中心メンバーだったヒシャム(Hisham Mayet)、リチャード・ビショップたちと旅先で見つけた音楽を共有し始めた。すると、アランとヒシャムがそれまでのワールドミュージック界ではまったく過小評価されている現地の現代の音楽を西洋に広めるためにレーベルを始めようと言い出した。
ダブケのような音楽は西洋ではデトロイトに暮らすイラク人社会のような移民のコミュニティーの中以外では、まったく聞かれていない。それに彼らはダブケは自分たちだけのために存在するものと思いこんでいて、西洋人に広めようとはまったく考えていない。インドネシアでもタイでも全く同じことだった。そこで僕たちはそれらを西洋に紹介するために商品化するレーベルを始めた。それが2003年、ちょうど10年前だ」
旅先で沢山カセットを買い、その中にオマールスレイマンを見つけた
M「1990年、20歳になり、アメリカが湾岸戦争を起こした時、初めて父親の国イラクとその音楽、そして、世界がどう回っているかに気づいたんだ。それからスミソニアン・フォークウェイズやアラン・ローマックスによるフィールド録音、ポール・ボウルズによるモロッコの録音などを聞きあさった。でも当時、流行していたオーバー・プロデュースされたワールドミュージックの多くには全然興味を持てなかった。それと同時にアンダーグラウンドな音楽にも深入りし、バンドを組んでライブを行うようになった。
アンダーグラウンドな実験音楽はもちろん、世界中から届く実験的なサウンドにも興味がわいた。そうした世界の音楽は西洋音楽的な意味で「実験的=エクスペリメンタル」であるわけではなく、単純に録音技術がひどくて音が割れているだけだったりもしたけど(笑)、それでも彼らは文字通り実験的なんだ。なぜなら彼らにとって電子楽器は初めてのものだったから。スタジオでの全ての作業が実験の繰り返しだったんだ。僕はそうした音楽にとても惹かれていった。僕は旅先で沢山のカセットを買い、その中にオマール・スレイマンを見つけた。シリアには他にもダブケの歌手が沢山いたけど、彼はとても速いテンポで生々しく歌っていた。「これはいったい何なんだ! もう1本カセットをくれ!」とハマっていったんだ。
そして、2002年にアラン・ビショップに出会った。初期のサブライムの中心メンバーだったヒシャム(Hisham Mayet)、リチャード・ビショップたちと旅先で見つけた音楽を共有し始めた。すると、アランとヒシャムがそれまでのワールドミュージック界ではまったく過小評価されている現地の現代の音楽を西洋に広めるためにレーベルを始めようと言い出した。
ダブケのような音楽は西洋ではデトロイトに暮らすイラク人社会のような移民のコミュニティーの中以外では、まったく聞かれていない。それに彼らはダブケは自分たちだけのために存在するものと思いこんでいて、西洋人に広めようとはまったく考えていない。インドネシアでもタイでも全く同じことだった。そこで僕たちはそれらを西洋に紹介するために商品化するレーベルを始めた。それが2003年、ちょうど10年前だ」
旅先で沢山カセットを買い、その中にオマールスレイマンを見つけた
M「1990年、20歳になり、アメリカが湾岸戦争を起こした時、初めて父親の国イラクとその音楽、そして、世界がどう回っているかに気づいたんだ。それからスミソニアン・フォークウェイズやアラン・ローマックスによるフィールド録音、ポール・ボウルズによるモロッコの録音などを聞きあさった。でも当時、流行していたオーバー・プロデュースされたワールドミュージックの多くには全然興味を持てなかった。それと同時にアンダーグラウンドな音楽にも深入りし、バンドを組んでライブを行うようになった。
アンダーグラウンドな実験音楽はもちろん、世界中から届く実験的なサウンドにも興味がわいた。そうした世界の音楽は西洋音楽的な意味で「実験的=エクスペリメンタル」であるわけではなく、単純に録音技術がひどくて音が割れているだけだったりもしたけど(笑)、それでも彼らは文字通り実験的なんだ。なぜなら彼らにとって電子楽器は初めてのものだったから。スタジオでの全ての作業が実験の繰り返しだったんだ。僕はそうした音楽にとても惹かれていった。僕は旅先で沢山のカセットを買い、その中にオマール・スレイマンを見つけた。シリアには他にもダブケの歌手が沢山いたけど、彼はとても速いテンポで生々しく歌っていた。「これはいったい何なんだ! もう1本カセットをくれ!」とハマっていったんだ。
そして、2002年にアラン・ビショップに出会った。初期のサブライムの中心メンバーだったヒシャム(Hisham Mayet)、リチャード・ビショップたちと旅先で見つけた音楽を共有し始めた。すると、アランとヒシャムがそれまでのワールドミュージック界ではまったく過小評価されている現地の現代の音楽を西洋に広めるためにレーベルを始めようと言い出した。
ダブケのような音楽は西洋ではデトロイトに暮らすイラク人社会のような移民のコミュニティーの中以外では、まったく聞かれていない。それに彼らはダブケは自分たちだけのために存在するものと思いこんでいて、西洋人に広めようとはまったく考えていない。インドネシアでもタイでも全く同じことだった。そこで僕たちはそれらを西洋に紹介するために商品化するレーベルを始めた。それが2003年、ちょうど10年前だ」
「シリアから来たテクノ」人々には文脈が重要だったんだ
M「彼の音楽は本来のテクノじゃないけど、テクノで用いられる技術は使っている。あのビートは偶然、テクノのように聞こえるだけで、シリアに元々あったものなんだ。以前は太鼓で叩いていたものをコルグの電子楽器を手に入れた途端にああいう音になったんだ。すると西洋では「シリアから来たテクノ」とか言い出した。僕はそうは思わないけれど、人は一つの音楽をそれぞれ異なる文脈で聴いているんだ。そう、文脈が重要だったんだ」
~文脈ですね。そして偶然も重要だったのでは?
「確かに偶然も重要だった。でも、その二つだけではない。中東の音楽についてまったく知識のない人でも、オマールのライヴを観たら、パワーに圧倒されるはず。ここで話す話じゃないけれど、シリアは長い間、「悪の枢軸国」とされてきた。それに対して異を唱えたくて、僕は2003年にサブライムからシリアのCD「Remember Syria」をリリースした。二枚組でフィールド録音やラジオの録音、更にオマールの曲や現地で買ったカセットなどから、全てをコラージュにした二時間の作品だった。当時シリアは本当に素晴らしい所だったんだ。現在のシリアの状況は本当に悲しい。君はシリアに行ったことがあるかい」
~ええ、1996年に二週間だけ訪れました。
M「僕が訪れる一年前だね。当時のシリアは美しかっただろう。大統領がハーフェズ・アサドに変わってから、シリアは大きく変わってしまったよ。ダマスカスではアルハラメイン・ホテル(歴史あるバックパッカー宿)に泊まったかい?
~もちろん。
M「ダマスカスは本当に美しい町だった。人もすばらしく、どこに行っても自宅に招待された。しかし、常にメディアによって悪者にされてきた。僕はシリアでの経験を沢山の人たちと共有したくなったんだ」
「シリアから来たテクノ」人々には文脈が重要だったんだ
M「彼の音楽は本来のテクノじゃないけど、テクノで用いられる技術は使っている。あのビートは偶然、テクノのように聞こえるだけで、シリアに元々あったものなんだ。以前は太鼓で叩いていたものをコルグの電子楽器を手に入れた途端にああいう音になったんだ。すると西洋では「シリアから来たテクノ」とか言い出した。僕はそうは思わないけれど、人は一つの音楽をそれぞれ異なる文脈で聴いているんだ。そう、文脈が重要だったんだ」
~文脈ですね。そして偶然も重要だったのでは?
「確かに偶然も重要だった。でも、その二つだけではない。中東の音楽についてまったく知識のない人でも、オマールのライヴを観たら、パワーに圧倒されるはず。ここで話す話じゃないけれど、シリアは長い間、「悪の枢軸国」とされてきた。それに対して異を唱えたくて、僕は2003年にサブライムからシリアのCD「Remember Syria」をリリースした。二枚組でフィールド録音やラジオの録音、更にオマールの曲や現地で買ったカセットなどから、全てをコラージュにした二時間の作品だった。当時シリアは本当に素晴らしい所だったんだ。現在のシリアの状況は本当に悲しい。君はシリアに行ったことがあるかい」
~ええ、1996年に二週間だけ訪れました。
M「僕が訪れる一年前だね。当時のシリアは美しかっただろう。大統領がハーフェズ・アサドに変わってから、シリアは大きく変わってしまったよ。ダマスカスではアルハラメイン・ホテル(歴史あるバックパッカー宿)に泊まったかい?
~もちろん。
M「ダマスカスは本当に美しい町だった。人もすばらしく、どこに行っても自宅に招待された。しかし、常にメディアによって悪者にされてきた。僕はシリアでの経験を沢山の人たちと共有したくなったんだ」
「シリアから来たテクノ」人々には文脈が重要だったんだ
M「彼の音楽は本来のテクノじゃないけど、テクノで用いられる技術は使っている。あのビートは偶然、テクノのように聞こえるだけで、シリアに元々あったものなんだ。以前は太鼓で叩いていたものをコルグの電子楽器を手に入れた途端にああいう音になったんだ。すると西洋では「シリアから来たテクノ」とか言い出した。僕はそうは思わないけれど、人は一つの音楽をそれぞれ異なる文脈で聴いているんだ。そう、文脈が重要だったんだ」
~文脈ですね。そして偶然も重要だったのでは?
「確かに偶然も重要だった。でも、その二つだけではない。中東の音楽についてまったく知識のない人でも、オマールのライヴを観たら、パワーに圧倒されるはず。ここで話す話じゃないけれど、シリアは長い間、「悪の枢軸国」とされてきた。それに対して異を唱えたくて、僕は2003年にサブライムからシリアのCD「Remember Syria」をリリースした。二枚組でフィールド録音やラジオの録音、更にオマールの曲や現地で買ったカセットなどから、全てをコラージュにした二時間の作品だった。当時シリアは本当に素晴らしい所だったんだ。現在のシリアの状況は本当に悲しい。君はシリアに行ったことがあるかい」
~ええ、1996年に二週間だけ訪れました。
M「僕が訪れる一年前だね。当時のシリアは美しかっただろう。大統領がハーフェズ・アサドに変わってから、シリアは大きく変わってしまったよ。ダマスカスではアルハラメイン・ホテル(歴史あるバックパッカー宿)に泊まったかい?
~もちろん。
M「ダマスカスは本当に美しい町だった。人もすばらしく、どこに行っても自宅に招待された。しかし、常にメディアによって悪者にされてきた。僕はシリアでの経験を沢山の人たちと共有したくなったんだ」
Omar Souleyman "Leh Jani"
Track 1 from the Sublime Frequencies CD, "Omar Souleyman- Highway to Hassake: Folk and Pop Sounds of Syria"
Omar Souleyman "Leh Jani"
Track 1 from the Sublime Frequencies CD, "Omar Souleyman- Highway to Hassake: Folk and Pop Sounds of Syria"
Omar Souleyman "Leh Jani"
Track 1 from the Sublime Frequencies CD, "Omar Souleyman- Highway to Hassake: Folk and Pop Sounds of Syria"
世界は今も変化し続けている。特にこの10年、5年で大きく変わった
M「いいかい、世界は今も変化し続けているんだ。特にこの10年、いや、この5年で大きく変わった。西洋の人々はその事に気づくべきだ。YOUTUBE一つをとっても世界中で音楽のスタイルから表現方法、広がりまで全てを変化させている。
先日初めてsoi48に会った。彼らはタイ音楽にどっぷりハマっていた。そして、DJを通じて、彼らが愛するドーナツ盤をプレイし、多くの人をタイ音楽に引き込む。彼らのやり方は素晴らしいよ。10年前に僕たちがサブライムを始めた時は誰もこうした音楽の良さをわかってくれず、非常に寂しい思いをした。その時から比べると、随分と遠くまで来たと感慨深かったよ。
~僕も全く同じ事を感じています。現在のボリウッド音楽や中東音楽なんて自分以外誰も興味を持ってくれないと思っていたけれど、今では僕はNHKFMのラジオ番組も持っているし、カルチャーセンターのワールドミュージック講座には毎年40名もの受講生が来てくれます。最近では講座で知りあった受講生同士が音楽を求めて海外旅行に出たりもしています。
「それはすばらしいね。時代が変わったんだ。モーラムやダブケも現地での受け入れ方が変わってきた。以前はバンコクでモーラムを探し出すのは難しかった。レコード屋に行き、モーラムが欲しいと言うと、店員が笑い出したんだ。そして、お店の裏に案内され、箱を無数に出してきた。そこには7インチやLPが詰まっていて、当時はとても安かった。それを一枚ずつ選び出して、最後には握手して別れたよ」
世界は今も変化し続けている。特にこの10年、5年で大きく変わった
M「いいかい、世界は今も変化し続けているんだ。特にこの10年、いや、この5年で大きく変わった。西洋の人々はその事に気づくべきだ。YOUTUBE一つをとっても世界中で音楽のスタイルから表現方法、広がりまで全てを変化させている。
先日初めてsoi48に会った。彼らはタイ音楽にどっぷりハマっていた。そして、DJを通じて、彼らが愛するドーナツ盤をプレイし、多くの人をタイ音楽に引き込む。彼らのやり方は素晴らしいよ。10年前に僕たちがサブライムを始めた時は誰もこうした音楽の良さをわかってくれず、非常に寂しい思いをした。その時から比べると、随分と遠くまで来たと感慨深かったよ。
~僕も全く同じ事を感じています。現在のボリウッド音楽や中東音楽なんて自分以外誰も興味を持ってくれないと思っていたけれど、今では僕はNHKFMのラジオ番組も持っているし、カルチャーセンターのワールドミュージック講座には毎年40名もの受講生が来てくれます。最近では講座で知りあった受講生同士が音楽を求めて海外旅行に出たりもしています。
「それはすばらしいね。時代が変わったんだ。モーラムやダブケも現地での受け入れ方が変わってきた。以前はバンコクでモーラムを探し出すのは難しかった。レコード屋に行き、モーラムが欲しいと言うと、店員が笑い出したんだ。そして、お店の裏に案内され、箱を無数に出してきた。そこには7インチやLPが詰まっていて、当時はとても安かった。それを一枚ずつ選び出して、最後には握手して別れたよ」
世界は今も変化し続けている。特にこの10年、5年で大きく変わった
M「いいかい、世界は今も変化し続けているんだ。特にこの10年、いや、この5年で大きく変わった。西洋の人々はその事に気づくべきだ。YOUTUBE一つをとっても世界中で音楽のスタイルから表現方法、広がりまで全てを変化させている。
先日初めてsoi48に会った。彼らはタイ音楽にどっぷりハマっていた。そして、DJを通じて、彼らが愛するドーナツ盤をプレイし、多くの人をタイ音楽に引き込む。彼らのやり方は素晴らしいよ。10年前に僕たちがサブライムを始めた時は誰もこうした音楽の良さをわかってくれず、非常に寂しい思いをした。その時から比べると、随分と遠くまで来たと感慨深かったよ。
~僕も全く同じ事を感じています。現在のボリウッド音楽や中東音楽なんて自分以外誰も興味を持ってくれないと思っていたけれど、今では僕はNHKFMのラジオ番組も持っているし、カルチャーセンターのワールドミュージック講座には毎年40名もの受講生が来てくれます。最近では講座で知りあった受講生同士が音楽を求めて海外旅行に出たりもしています。
「それはすばらしいね。時代が変わったんだ。モーラムやダブケも現地での受け入れ方が変わってきた。以前はバンコクでモーラムを探し出すのは難しかった。レコード屋に行き、モーラムが欲しいと言うと、店員が笑い出したんだ。そして、お店の裏に案内され、箱を無数に出してきた。そこには7インチやLPが詰まっていて、当時はとても安かった。それを一枚ずつ選び出して、最後には握手して別れたよ」
Porest - Continental Revolt
MarkのバンドPorestの2006年作 "Tourrorists" から
Porest - Continental Revolt
MarkのバンドPorestの2006年作 "Tourrorists" から
Porest - Continental Revolt
MarkのバンドPorestの2006年作 "Tourrorists" から
Choubi Choubi! Folk and Pop Sounds From IRAQ (Volume 2) 2LP
(Mark Gergis Latest Produce Work)

(Mark Gergis Latest Produce Work)
Sublime Frequencies http://www.sublimefrequencies.com/
Sublime Frequencies A Go Go! 2013 Japan Tour http://www.anttkc.com/sf2013/
Choubi Choubi! Folk and Pop Sounds From IRAQ (Volume 2) 2LP
(Mark Gergis Latest Produce Work)

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Sublime Frequencies http://www.sublimefrequencies.com/
Sublime Frequencies A Go Go! 2013 Japan Tour http://www.anttkc.com/sf2013/
Choubi Choubi! Folk and Pop Sounds From IRAQ (Volume 2) 2LP
(Mark Gergis Latest Produce Work)

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Sublime Frequencies A Go Go! 2013 Japan Tour http://www.anttkc.com/sf2013/