Mark Gergis 
from Sublime Frequencies

2013年7月に東京、静岡、神戸、熊本、沖縄で開催された「The Sublime Frequencies a-Go-Go Mark Gergis Japan Tour」、僕に言わせれば日本のクラブ史上に残る奇跡的なツアーだった。

 

Sublime Frequencies(サブライム・フリークェンシーズ)はSun City GirlsのAlan Bishop(アラン・ビショップ)が主宰となり、Mark Gergis(マーク・ジャーギス)らと2002年にアメリカ・シアトルで設立されたレーベル。アランやマークたちが東南アジア、南アジア、アフリカなど、非欧米圏への旅を通じて、買い集めた現地のレコード盤、テープ、映画、テレビ・ラジオ番組といったヴィンテージ音源や映像を紹介するレーベルである。中でもマークが見いだし世界的な存在となったのが、2013年12月には初来日を果たしたシリアのダンス音楽ダブケの怪人、オマール・スレイマンだ。彼らはワールドミュージックのマニアにも見向きもされない、エレクトロニック化した現地のダサダサな大衆音楽を、同時代に発生しているストリートのパンクやヒップホップや実験音楽のバリエーションとして聴くという新しい視点を西洋や日本の音楽ファンにもたらしたのだ。

 

そのマークが初来日し、全国ツアーを行った。オーガナイザーはヒゲの未亡人こと岸野雄一。僕は7月19日に東京六本木のSuper Deluxe公演でDJとして参加した。ほかにはタイのレアグルーヴばかりを7インチでプレイするsoi48、幻の名盤解放同盟 (根本敬、湯浅学、船橋英雄)、更にあらゆるジャンルに精通するDJの中のDJ、MOODMANとBing a.k.a Toshio Kajiwaraらが参加し、オープンから明け方のクローズまで、タイのルークトゥンや日本の演歌、韓国のポンチャックや中華マレーのジャズ、シリアのダブケやインドのボリウッド音楽など、星の数ほどあるだろう東京のクラブにおいてもほとんど耳にすることのないダッサい音楽、いわば「アウトサイダー音楽」だけが流れ、それを満員のお客さんがニコニコしながら踊るというとんでもない光景が僕の目の前に広がったのだ。普通、クラブではジャズやソウルのようなお洒落な音楽やメロディーの少ない音響的に特化した電子音楽が流れるものである。それなのに、この晩はタイ演歌やポンチャックのキッツい二日酔いしそうなメロディーばかり! ちょうど、僕が2003年に中東やインドの音楽のDJを始めてから10年が経つ。まさか日本でこんな音楽を愛するDJたちやお客さんが集うようになるとは思いも寄らなかった。

Mark Gergis 
from Sublime Frequencies

2013年7月に東京、静岡、神戸、熊本、沖縄で開催された「The Sublime Frequencies a-Go-Go Mark Gergis Japan Tour」、僕に言わせれば日本のクラブ史上に残る奇跡的なツアーだった。

 

Sublime Frequencies(サブライム・フリークェンシーズ)はSun City GirlsのAlan Bishop(アラン・ビショップ)が主宰となり、Mark Gergis(マーク・ジャーギス)らと2002年にアメリカ・シアトルで設立されたレーベル。アランやマークたちが東南アジア、南アジア、アフリカなど、非欧米圏への旅を通じて、買い集めた現地のレコード盤、テープ、映画、テレビ・ラジオ番組といったヴィンテージ音源や映像を紹介するレーベルである。中でもマークが見いだし世界的な存在となったのが、2013年12月には初来日を果たしたシリアのダンス音楽ダブケの怪人、オマール・スレイマンだ。彼らはワールドミュージックのマニアにも見向きもされない、エレクトロニック化した現地のダサダサな大衆音楽を、同時代に発生しているストリートのパンクやヒップホップや実験音楽のバリエーションとして聴くという新しい視点を西洋や日本の音楽ファンにもたらしたのだ。

 

そのマークが初来日し、全国ツアーを行った。オーガナイザーはヒゲの未亡人こと岸野雄一。僕は7月19日に東京六本木のSuper Deluxe公演でDJとして参加した。ほかにはタイのレアグルーヴばかりを7インチでプレイするsoi48、幻の名盤解放同盟 (根本敬、湯浅学、船橋英雄)、更にあらゆるジャンルに精通するDJの中のDJ、MOODMANとBing a.k.a Toshio Kajiwaraらが参加し、オープンから明け方のクローズまで、タイのルークトゥンや日本の演歌、韓国のポンチャックや中華マレーのジャズ、シリアのダブケやインドのボリウッド音楽など、星の数ほどあるだろう東京のクラブにおいてもほとんど耳にすることのないダッサい音楽、いわば「アウトサイダー音楽」だけが流れ、それを満員のお客さんがニコニコしながら踊るというとんでもない光景が僕の目の前に広がったのだ。普通、クラブではジャズやソウルのようなお洒落な音楽やメロディーの少ない音響的に特化した電子音楽が流れるものである。それなのに、この晩はタイ演歌やポンチャックのキッツい二日酔いしそうなメロディーばかり! ちょうど、僕が2003年に中東やインドの音楽のDJを始めてから10年が経つ。まさか日本でこんな音楽を愛するDJたちやお客さんが集うようになるとは思いも寄らなかった。

Mark Gergis 
from Sublime Frequencies

2013年7月に東京、静岡、神戸、熊本、沖縄で開催された「The Sublime Frequencies a-Go-Go Mark Gergis Japan Tour」、僕に言わせれば日本のクラブ史上に残る奇跡的なツアーだった。

 

Sublime Frequencies(サブライム・フリークェンシーズ)はSun City GirlsのAlan Bishop(アラン・ビショップ)が主宰となり、Mark Gergis(マーク・ジャーギス)らと2002年にアメリカ・シアトルで設立されたレーベル。アランやマークたちが東南アジア、南アジア、アフリカなど、非欧米圏への旅を通じて、買い集めた現地のレコード盤、テープ、映画、テレビ・ラジオ番組といったヴィンテージ音源や映像を紹介するレーベルである。中でもマークが見いだし世界的な存在となったのが、2013年12月には初来日を果たしたシリアのダンス音楽ダブケの怪人、オマール・スレイマンだ。彼らはワールドミュージックのマニアにも見向きもされない、エレクトロニック化した現地のダサダサな大衆音楽を、同時代に発生しているストリートのパンクやヒップホップや実験音楽のバリエーションとして聴くという新しい視点を西洋や日本の音楽ファンにもたらしたのだ。

 

そのマークが初来日し、全国ツアーを行った。オーガナイザーはヒゲの未亡人こと岸野雄一。僕は7月19日に東京六本木のSuper Deluxe公演でDJとして参加した。ほかにはタイのレアグルーヴばかりを7インチでプレイするsoi48、幻の名盤解放同盟 (根本敬、湯浅学、船橋英雄)、更にあらゆるジャンルに精通するDJの中のDJ、MOODMANとBing a.k.a Toshio Kajiwaraらが参加し、オープンから明け方のクローズまで、タイのルークトゥンや日本の演歌、韓国のポンチャックや中華マレーのジャズ、シリアのダブケやインドのボリウッド音楽など、星の数ほどあるだろう東京のクラブにおいてもほとんど耳にすることのないダッサい音楽、いわば「アウトサイダー音楽」だけが流れ、それを満員のお客さんがニコニコしながら踊るというとんでもない光景が僕の目の前に広がったのだ。普通、クラブではジャズやソウルのようなお洒落な音楽やメロディーの少ない音響的に特化した電子音楽が流れるものである。それなのに、この晩はタイ演歌やポンチャックのキッツい二日酔いしそうなメロディーばかり! ちょうど、僕が2003年に中東やインドの音楽のDJを始めてから10年が経つ。まさか日本でこんな音楽を愛するDJたちやお客さんが集うようになるとは思いも寄らなかった。

人は「なんでも聴くよ」と言うわりにフロアからいなくなってしまう

~先日のパーティーは本当にすごい夜でした。マークはもちろん、岸野さん、幻の名盤解放同盟、soi48、そして僕も、全員が基本的にアジアから生まれた音楽だけをDJプレイして、会場にいた誰もが踊っていました。ワールドミュージックのDJパーティーと言っても、流れるのは基本的にはアフリカやラテン音楽ばかりです。そうではなく、アジア各国の音楽ばかりをプレイして、それでもお客さんが踊り狂うというのはおそらく東京のクラブでは初めてのことだったと思います。

 

M「僕にとっても本当にすばらしい経験だったよ。人は「音楽はなんでも聴くよ」と言うわりに、実際にDJでああした曲をプレイすると、ダンスフロアから人がいなくなってしまう。その結果、僕の収入も減る(笑)。だから僕も人を踊らせるためにアフリカ音楽、ダブやレゲエやファンクやをプレイしなければならないことも多いんだ」

 

~本当にあの晩は東京のクラブシーンにおける一つの分岐点になったと思います。ところで、マークがサブライム・フリークェンシーズで働くようになったきっかけを教えて下さい。

 

M「サブライム・フリークェンシーズはサン・シティ・ガールズで有名なミュージシャン、アラン・ビショップが主宰している。アランは1980年代初頭から旅を繰り返してきた。1983年くらいにモロッコやエジプト、インドを訪れていた。彼は旅の間にフィールド録音を行い、同時にテープやレコードを買い集めていた。

 

僕自身は1990年代初頭、好きだった欧米のバンドがどんどんつまらない音楽を作るようになり失望していったの裏返しにインターナショナルな音楽に引き込まれ、1997年から旅を始めた。そして、東南アジアや中東の音楽にとても感化された。僕はイラク人とアメリカ人のハーフなんだ。父はバグダッドからの移民で、アラブ音楽が常に家で流れていた。イラク式の結婚式にはヴァイオリン奏者やパーカッション奏者、歌手やベリーダンサーが来て、それが少年時代の僕の日常だった。でも、そうした音楽について思いを馳せることはなかった。15歳の少年には全然クールには思えなかったからね(笑)」

人は「なんでも聴くよ」と言うわりにフロアからいなくなってしまう

~先日のパーティーは本当にすごい夜でした。マークはもちろん、岸野さん、幻の名盤解放同盟、soi48、そして僕も、全員が基本的にアジアから生まれた音楽だけをDJプレイして、会場にいた誰もが踊っていました。ワールドミュージックのDJパーティーと言っても、流れるのは基本的にはアフリカやラテン音楽ばかりです。そうではなく、アジア各国の音楽ばかりをプレイして、それでもお客さんが踊り狂うというのはおそらく東京のクラブでは初めてのことだったと思います。

 

M「僕にとっても本当にすばらしい経験だったよ。人は「音楽はなんでも聴くよ」と言うわりに、実際にDJでああした曲をプレイすると、ダンスフロアから人がいなくなってしまう。その結果、僕の収入も減る(笑)。だから僕も人を踊らせるためにアフリカ音楽、ダブやレゲエやファンクやをプレイしなければならないことも多いんだ」

 

~本当にあの晩は東京のクラブシーンにおける一つの分岐点になったと思います。ところで、マークがサブライム・フリークェンシーズで働くようになったきっかけを教えて下さい。

 

M「サブライム・フリークェンシーズはサン・シティ・ガールズで有名なミュージシャン、アラン・ビショップが主宰している。アランは1980年代初頭から旅を繰り返してきた。1983年くらいにモロッコやエジプト、インドを訪れていた。彼は旅の間にフィールド録音を行い、同時にテープやレコードを買い集めていた。

 

僕自身は1990年代初頭、好きだった欧米のバンドがどんどんつまらない音楽を作るようになり失望していったの裏返しにインターナショナルな音楽に引き込まれ、1997年から旅を始めた。そして、東南アジアや中東の音楽にとても感化された。僕はイラク人とアメリカ人のハーフなんだ。父はバグダッドからの移民で、アラブ音楽が常に家で流れていた。イラク式の結婚式にはヴァイオリン奏者やパーカッション奏者、歌手やベリーダンサーが来て、それが少年時代の僕の日常だった。でも、そうした音楽について思いを馳せることはなかった。15歳の少年には全然クールには思えなかったからね(笑)」

人は「なんでも聴くよ」と言うわりにフロアからいなくなってしまう

~先日のパーティーは本当にすごい夜でした。マークはもちろん、岸野さん、幻の名盤解放同盟、soi48、そして僕も、全員が基本的にアジアから生まれた音楽だけをDJプレイして、会場にいた誰もが踊っていました。ワールドミュージックのDJパーティーと言っても、流れるのは基本的にはアフリカやラテン音楽ばかりです。そうではなく、アジア各国の音楽ばかりをプレイして、それでもお客さんが踊り狂うというのはおそらく東京のクラブでは初めてのことだったと思います。

 

M「僕にとっても本当にすばらしい経験だったよ。人は「音楽はなんでも聴くよ」と言うわりに、実際にDJでああした曲をプレイすると、ダンスフロアから人がいなくなってしまう。その結果、僕の収入も減る(笑)。だから僕も人を踊らせるためにアフリカ音楽、ダブやレゲエやファンクやをプレイしなければならないことも多いんだ」

 

~本当にあの晩は東京のクラブシーンにおける一つの分岐点になったと思います。ところで、マークがサブライム・フリークェンシーズで働くようになったきっかけを教えて下さい。

 

M「サブライム・フリークェンシーズはサン・シティ・ガールズで有名なミュージシャン、アラン・ビショップが主宰している。アランは1980年代初頭から旅を繰り返してきた。1983年くらいにモロッコやエジプト、インドを訪れていた。彼は旅の間にフィールド録音を行い、同時にテープやレコードを買い集めていた。

 

僕自身は1990年代初頭、好きだった欧米のバンドがどんどんつまらない音楽を作るようになり失望していったの裏返しにインターナショナルな音楽に引き込まれ、1997年から旅を始めた。そして、東南アジアや中東の音楽にとても感化された。僕はイラク人とアメリカ人のハーフなんだ。父はバグダッドからの移民で、アラブ音楽が常に家で流れていた。イラク式の結婚式にはヴァイオリン奏者やパーカッション奏者、歌手やベリーダンサーが来て、それが少年時代の僕の日常だった。でも、そうした音楽について思いを馳せることはなかった。15歳の少年には全然クールには思えなかったからね(笑)」

旅先で沢山カセットを買い、その中にオマールスレイマンを見つけた

M「1990年、20歳になり、アメリカが湾岸戦争を起こした時、初めて父親の国イラクとその音楽、そして、世界がどう回っているかに気づいたんだ。それからスミソニアン・フォークウェイズやアラン・ローマックスによるフィールド録音、ポール・ボウルズによるモロッコの録音などを聞きあさった。でも当時、流行していたオーバー・プロデュースされたワールドミュージックの多くには全然興味を持てなかった。それと同時にアンダーグラウンドな音楽にも深入りし、バンドを組んでライブを行うようになった。

 

アンダーグラウンドな実験音楽はもちろん、世界中から届く実験的なサウンドにも興味がわいた。そうした世界の音楽は西洋音楽的な意味で「実験的=エクスペリメンタル」であるわけではなく、単純に録音技術がひどくて音が割れているだけだったりもしたけど(笑)、それでも彼らは文字通り実験的なんだ。なぜなら彼らにとって電子楽器は初めてのものだったから。スタジオでの全ての作業が実験の繰り返しだったんだ。僕はそうした音楽にとても惹かれていった。僕は旅先で沢山のカセットを買い、その中にオマール・スレイマンを見つけた。シリアには他にもダブケの歌手が沢山いたけど、彼はとても速いテンポで生々しく歌っていた。「これはいったい何なんだ! もう1本カセットをくれ!」とハマっていったんだ。

 

そして、2002年にアラン・ビショップに出会った。初期のサブライムの中心メンバーだったヒシャム(Hisham Mayet)、リチャード・ビショップたちと旅先で見つけた音楽を共有し始めた。すると、アランとヒシャムがそれまでのワールドミュージック界ではまったく過小評価されている現地の現代の音楽を西洋に広めるためにレーベルを始めようと言い出した。

 

ダブケのような音楽は西洋ではデトロイトに暮らすイラク人社会のような移民のコミュニティーの中以外では、まったく聞かれていない。それに彼らはダブケは自分たちだけのために存在するものと思いこんでいて、西洋人に広めようとはまったく考えていない。インドネシアでもタイでも全く同じことだった。そこで僕たちはそれらを西洋に紹介するために商品化するレーベルを始めた。それが2003年、ちょうど10年前だ」

 

旅先で沢山カセットを買い、その中にオマールスレイマンを見つけた

M「1990年、20歳になり、アメリカが湾岸戦争を起こした時、初めて父親の国イラクとその音楽、そして、世界がどう回っているかに気づいたんだ。それからスミソニアン・フォークウェイズやアラン・ローマックスによるフィールド録音、ポール・ボウルズによるモロッコの録音などを聞きあさった。でも当時、流行していたオーバー・プロデュースされたワールドミュージックの多くには全然興味を持てなかった。それと同時にアンダーグラウンドな音楽にも深入りし、バンドを組んでライブを行うようになった。

 

アンダーグラウンドな実験音楽はもちろん、世界中から届く実験的なサウンドにも興味がわいた。そうした世界の音楽は西洋音楽的な意味で「実験的=エクスペリメンタル」であるわけではなく、単純に録音技術がひどくて音が割れているだけだったりもしたけど(笑)、それでも彼らは文字通り実験的なんだ。なぜなら彼らにとって電子楽器は初めてのものだったから。スタジオでの全ての作業が実験の繰り返しだったんだ。僕はそうした音楽にとても惹かれていった。僕は旅先で沢山のカセットを買い、その中にオマール・スレイマンを見つけた。シリアには他にもダブケの歌手が沢山いたけど、彼はとても速いテンポで生々しく歌っていた。「これはいったい何なんだ! もう1本カセットをくれ!」とハマっていったんだ。

 

そして、2002年にアラン・ビショップに出会った。初期のサブライムの中心メンバーだったヒシャム(Hisham Mayet)、リチャード・ビショップたちと旅先で見つけた音楽を共有し始めた。すると、アランとヒシャムがそれまでのワールドミュージック界ではまったく過小評価されている現地の現代の音楽を西洋に広めるためにレーベルを始めようと言い出した。

 

ダブケのような音楽は西洋ではデトロイトに暮らすイラク人社会のような移民のコミュニティーの中以外では、まったく聞かれていない。それに彼らはダブケは自分たちだけのために存在するものと思いこんでいて、西洋人に広めようとはまったく考えていない。インドネシアでもタイでも全く同じことだった。そこで僕たちはそれらを西洋に紹介するために商品化するレーベルを始めた。それが2003年、ちょうど10年前だ」

 

旅先で沢山カセットを買い、その中にオマールスレイマンを見つけた

M「1990年、20歳になり、アメリカが湾岸戦争を起こした時、初めて父親の国イラクとその音楽、そして、世界がどう回っているかに気づいたんだ。それからスミソニアン・フォークウェイズやアラン・ローマックスによるフィールド録音、ポール・ボウルズによるモロッコの録音などを聞きあさった。でも当時、流行していたオーバー・プロデュースされたワールドミュージックの多くには全然興味を持てなかった。それと同時にアンダーグラウンドな音楽にも深入りし、バンドを組んでライブを行うようになった。

 

アンダーグラウンドな実験音楽はもちろん、世界中から届く実験的なサウンドにも興味がわいた。そうした世界の音楽は西洋音楽的な意味で「実験的=エクスペリメンタル」であるわけではなく、単純に録音技術がひどくて音が割れているだけだったりもしたけど(笑)、それでも彼らは文字通り実験的なんだ。なぜなら彼らにとって電子楽器は初めてのものだったから。スタジオでの全ての作業が実験の繰り返しだったんだ。僕はそうした音楽にとても惹かれていった。僕は旅先で沢山のカセットを買い、その中にオマール・スレイマンを見つけた。シリアには他にもダブケの歌手が沢山いたけど、彼はとても速いテンポで生々しく歌っていた。「これはいったい何なんだ! もう1本カセットをくれ!」とハマっていったんだ。

 

そして、2002年にアラン・ビショップに出会った。初期のサブライムの中心メンバーだったヒシャム(Hisham Mayet)、リチャード・ビショップたちと旅先で見つけた音楽を共有し始めた。すると、アランとヒシャムがそれまでのワールドミュージック界ではまったく過小評価されている現地の現代の音楽を西洋に広めるためにレーベルを始めようと言い出した。

 

ダブケのような音楽は西洋ではデトロイトに暮らすイラク人社会のような移民のコミュニティーの中以外では、まったく聞かれていない。それに彼らはダブケは自分たちだけのために存在するものと思いこんでいて、西洋人に広めようとはまったく考えていない。インドネシアでもタイでも全く同じことだった。そこで僕たちはそれらを西洋に紹介するために商品化するレーベルを始めた。それが2003年、ちょうど10年前だ」

 

「シリアから来たテクノ」人々には文脈が重要だったんだ

M「彼の音楽は本来のテクノじゃないけど、テクノで用いられる技術は使っている。あのビートは偶然、テクノのように聞こえるだけで、シリアに元々あったものなんだ。以前は太鼓で叩いていたものをコルグの電子楽器を手に入れた途端にああいう音になったんだ。すると西洋では「シリアから来たテクノ」とか言い出した。僕はそうは思わないけれど、人は一つの音楽をそれぞれ異なる文脈で聴いているんだ。そう、文脈が重要だったんだ」

 

~文脈ですね。そして偶然も重要だったのでは?

 

「確かに偶然も重要だった。でも、その二つだけではない。中東の音楽についてまったく知識のない人でも、オマールのライヴを観たら、パワーに圧倒されるはず。ここで話す話じゃないけれど、シリアは長い間、「悪の枢軸国」とされてきた。それに対して異を唱えたくて、僕は2003年にサブライムからシリアのCD「Remember Syria」をリリースした。二枚組でフィールド録音やラジオの録音、更にオマールの曲や現地で買ったカセットなどから、全てをコラージュにした二時間の作品だった。当時シリアは本当に素晴らしい所だったんだ。現在のシリアの状況は本当に悲しい。君はシリアに行ったことがあるかい」

 

~ええ、1996年に二週間だけ訪れました。

 

M「僕が訪れる一年前だね。当時のシリアは美しかっただろう。大統領がハーフェズ・アサドに変わってから、シリアは大きく変わってしまったよ。ダマスカスではアルハラメイン・ホテル(歴史あるバックパッカー宿)に泊まったかい?

 

~もちろん。

 

M「ダマスカスは本当に美しい町だった。人もすばらしく、どこに行っても自宅に招待された。しかし、常にメディアによって悪者にされてきた。僕はシリアでの経験を沢山の人たちと共有したくなったんだ」

「シリアから来たテクノ」人々には文脈が重要だったんだ

M「彼の音楽は本来のテクノじゃないけど、テクノで用いられる技術は使っている。あのビートは偶然、テクノのように聞こえるだけで、シリアに元々あったものなんだ。以前は太鼓で叩いていたものをコルグの電子楽器を手に入れた途端にああいう音になったんだ。すると西洋では「シリアから来たテクノ」とか言い出した。僕はそうは思わないけれど、人は一つの音楽をそれぞれ異なる文脈で聴いているんだ。そう、文脈が重要だったんだ」

 

~文脈ですね。そして偶然も重要だったのでは?

 

「確かに偶然も重要だった。でも、その二つだけではない。中東の音楽についてまったく知識のない人でも、オマールのライヴを観たら、パワーに圧倒されるはず。ここで話す話じゃないけれど、シリアは長い間、「悪の枢軸国」とされてきた。それに対して異を唱えたくて、僕は2003年にサブライムからシリアのCD「Remember Syria」をリリースした。二枚組でフィールド録音やラジオの録音、更にオマールの曲や現地で買ったカセットなどから、全てをコラージュにした二時間の作品だった。当時シリアは本当に素晴らしい所だったんだ。現在のシリアの状況は本当に悲しい。君はシリアに行ったことがあるかい」

 

~ええ、1996年に二週間だけ訪れました。

 

M「僕が訪れる一年前だね。当時のシリアは美しかっただろう。大統領がハーフェズ・アサドに変わってから、シリアは大きく変わってしまったよ。ダマスカスではアルハラメイン・ホテル(歴史あるバックパッカー宿)に泊まったかい?

 

~もちろん。

 

M「ダマスカスは本当に美しい町だった。人もすばらしく、どこに行っても自宅に招待された。しかし、常にメディアによって悪者にされてきた。僕はシリアでの経験を沢山の人たちと共有したくなったんだ」

「シリアから来たテクノ」人々には文脈が重要だったんだ

M「彼の音楽は本来のテクノじゃないけど、テクノで用いられる技術は使っている。あのビートは偶然、テクノのように聞こえるだけで、シリアに元々あったものなんだ。以前は太鼓で叩いていたものをコルグの電子楽器を手に入れた途端にああいう音になったんだ。すると西洋では「シリアから来たテクノ」とか言い出した。僕はそうは思わないけれど、人は一つの音楽をそれぞれ異なる文脈で聴いているんだ。そう、文脈が重要だったんだ」

 

~文脈ですね。そして偶然も重要だったのでは?

 

「確かに偶然も重要だった。でも、その二つだけではない。中東の音楽についてまったく知識のない人でも、オマールのライヴを観たら、パワーに圧倒されるはず。ここで話す話じゃないけれど、シリアは長い間、「悪の枢軸国」とされてきた。それに対して異を唱えたくて、僕は2003年にサブライムからシリアのCD「Remember Syria」をリリースした。二枚組でフィールド録音やラジオの録音、更にオマールの曲や現地で買ったカセットなどから、全てをコラージュにした二時間の作品だった。当時シリアは本当に素晴らしい所だったんだ。現在のシリアの状況は本当に悲しい。君はシリアに行ったことがあるかい」

 

~ええ、1996年に二週間だけ訪れました。

 

M「僕が訪れる一年前だね。当時のシリアは美しかっただろう。大統領がハーフェズ・アサドに変わってから、シリアは大きく変わってしまったよ。ダマスカスではアルハラメイン・ホテル(歴史あるバックパッカー宿)に泊まったかい?

 

~もちろん。

 

M「ダマスカスは本当に美しい町だった。人もすばらしく、どこに行っても自宅に招待された。しかし、常にメディアによって悪者にされてきた。僕はシリアでの経験を沢山の人たちと共有したくなったんだ」

Omar Souleyman "Leh Jani"

Track 1 from the Sublime Frequencies CD, "Omar Souleyman- Highway to Hassake: Folk and Pop Sounds of Syria"

Omar Souleyman "Leh Jani"

Track 1 from the Sublime Frequencies CD, "Omar Souleyman- Highway to Hassake: Folk and Pop Sounds of Syria"

Omar Souleyman "Leh Jani"

Track 1 from the Sublime Frequencies CD, "Omar Souleyman- Highway to Hassake: Folk and Pop Sounds of Syria"

「ワールドミュージック」は大きな「聖痕」だった

~貴方とサブライムの仕事を通じて、世界中の音楽家たちがとても刺激を受け、感化されています。僕の友人のイスタンブルのBaBa ZuLaやイスラエルのBoomPamもそう言っていました。

 

M「それを聞くと本当に嬉しいよ。僕たちは旅を通じて、世界中の興味深い音楽を発見した。そして、もっともっと聞きたいと思った。レーベルを始めた時、どうして他の誰もこういうことをやらないのだろうと思ったよ。その頃はまだYOUTUBEさえなかった。君がある国に行って、6週間滞在し、すばらしい体験をした。どんなドアが開いたか、どんな窓が開いたか、どんな音楽を聴いたか? アランたちは常にインスピレーションを求めていた。僕も他人の素晴らしい仕事によって喚起されたい。だから君たち日本人や他の国の人たちにそう言われるのが一番うれしいんだ」

 

~世界中の人達がサブライムの作品を聞いて、改めて音楽の遺産を見つけていると思います。

 

M「無数のカッティングエッジな音楽を作り出しているアメリカでさえ、こうした現代のインターナショナルな音楽を聴いてもらうのはまだまだ難しい。僕の友人の音楽家たちでさえ、インドネシアやシリアの音楽と言えば、90年代のワールドミュージック時代の音楽か、それ以前の音楽を聴いているだけだ。思うに「ワールドミュージック」は大きな「聖痕」だったんだ」

 

~ワールドミュージックは聖痕? 

 

M「そうさ。アラブの伝統的な音楽だったらOKだろう。でも、ダブケのような現代の音楽はなかなか受け入れてもらえない。僕がクラブでエレクトロニックなモーラムをプレイすると、「そんな今の音は止めてくれ!」と言われてしまう」

「ワールドミュージック」は大きな「聖痕」だった

~貴方とサブライムの仕事を通じて、世界中の音楽家たちがとても刺激を受け、感化されています。僕の友人のイスタンブルのBaBa ZuLaやイスラエルのBoomPamもそう言っていました。

 

M「それを聞くと本当に嬉しいよ。僕たちは旅を通じて、世界中の興味深い音楽を発見した。そして、もっともっと聞きたいと思った。レーベルを始めた時、どうして他の誰もこういうことをやらないのだろうと思ったよ。その頃はまだYOUTUBEさえなかった。君がある国に行って、6週間滞在し、すばらしい体験をした。どんなドアが開いたか、どんな窓が開いたか、どんな音楽を聴いたか? アランたちは常にインスピレーションを求めていた。僕も他人の素晴らしい仕事によって喚起されたい。だから君たち日本人や他の国の人たちにそう言われるのが一番うれしいんだ」

 

~世界中の人達がサブライムの作品を聞いて、改めて音楽の遺産を見つけていると思います。

 

M「無数のカッティングエッジな音楽を作り出しているアメリカでさえ、こうした現代のインターナショナルな音楽を聴いてもらうのはまだまだ難しい。僕の友人の音楽家たちでさえ、インドネシアやシリアの音楽と言えば、90年代のワールドミュージック時代の音楽か、それ以前の音楽を聴いているだけだ。思うに「ワールドミュージック」は大きな「聖痕」だったんだ」

 

~ワールドミュージックは聖痕? 

 

M「そうさ。アラブの伝統的な音楽だったらOKだろう。でも、ダブケのような現代の音楽はなかなか受け入れてもらえない。僕がクラブでエレクトロニックなモーラムをプレイすると、「そんな今の音は止めてくれ!」と言われてしまう」

「ワールドミュージック」は大きな「聖痕」だった

~貴方とサブライムの仕事を通じて、世界中の音楽家たちがとても刺激を受け、感化されています。僕の友人のイスタンブルのBaBa ZuLaやイスラエルのBoomPamもそう言っていました。

 

M「それを聞くと本当に嬉しいよ。僕たちは旅を通じて、世界中の興味深い音楽を発見した。そして、もっともっと聞きたいと思った。レーベルを始めた時、どうして他の誰もこういうことをやらないのだろうと思ったよ。その頃はまだYOUTUBEさえなかった。君がある国に行って、6週間滞在し、すばらしい体験をした。どんなドアが開いたか、どんな窓が開いたか、どんな音楽を聴いたか? アランたちは常にインスピレーションを求めていた。僕も他人の素晴らしい仕事によって喚起されたい。だから君たち日本人や他の国の人たちにそう言われるのが一番うれしいんだ」

 

~世界中の人達がサブライムの作品を聞いて、改めて音楽の遺産を見つけていると思います。

 

M「無数のカッティングエッジな音楽を作り出しているアメリカでさえ、こうした現代のインターナショナルな音楽を聴いてもらうのはまだまだ難しい。僕の友人の音楽家たちでさえ、インドネシアやシリアの音楽と言えば、90年代のワールドミュージック時代の音楽か、それ以前の音楽を聴いているだけだ。思うに「ワールドミュージック」は大きな「聖痕」だったんだ」

 

~ワールドミュージックは聖痕? 

 

M「そうさ。アラブの伝統的な音楽だったらOKだろう。でも、ダブケのような現代の音楽はなかなか受け入れてもらえない。僕がクラブでエレクトロニックなモーラムをプレイすると、「そんな今の音は止めてくれ!」と言われてしまう」

世界は今も変化し続けている。特にこの10年、5年で大きく変わった

M「いいかい、世界は今も変化し続けているんだ。特にこの10年、いや、この5年で大きく変わった。西洋の人々はその事に気づくべきだ。YOUTUBE一つをとっても世界中で音楽のスタイルから表現方法、広がりまで全てを変化させている。

先日初めてsoi48に会った。彼らはタイ音楽にどっぷりハマっていた。そして、DJを通じて、彼らが愛するドーナツ盤をプレイし、多くの人をタイ音楽に引き込む。彼らのやり方は素晴らしいよ。10年前に僕たちがサブライムを始めた時は誰もこうした音楽の良さをわかってくれず、非常に寂しい思いをした。その時から比べると、随分と遠くまで来たと感慨深かったよ。 

 

~僕も全く同じ事を感じています。現在のボリウッド音楽や中東音楽なんて自分以外誰も興味を持ってくれないと思っていたけれど、今では僕はNHKFMのラジオ番組も持っているし、カルチャーセンターのワールドミュージック講座には毎年40名もの受講生が来てくれます。最近では講座で知りあった受講生同士が音楽を求めて海外旅行に出たりもしています。

 

「それはすばらしいね。時代が変わったんだ。モーラムやダブケも現地での受け入れ方が変わってきた。以前はバンコクでモーラムを探し出すのは難しかった。レコード屋に行き、モーラムが欲しいと言うと、店員が笑い出したんだ。そして、お店の裏に案内され、箱を無数に出してきた。そこには7インチやLPが詰まっていて、当時はとても安かった。それを一枚ずつ選び出して、最後には握手して別れたよ」

世界は今も変化し続けている。特にこの10年、5年で大きく変わった

M「いいかい、世界は今も変化し続けているんだ。特にこの10年、いや、この5年で大きく変わった。西洋の人々はその事に気づくべきだ。YOUTUBE一つをとっても世界中で音楽のスタイルから表現方法、広がりまで全てを変化させている。

先日初めてsoi48に会った。彼らはタイ音楽にどっぷりハマっていた。そして、DJを通じて、彼らが愛するドーナツ盤をプレイし、多くの人をタイ音楽に引き込む。彼らのやり方は素晴らしいよ。10年前に僕たちがサブライムを始めた時は誰もこうした音楽の良さをわかってくれず、非常に寂しい思いをした。その時から比べると、随分と遠くまで来たと感慨深かったよ。 

 

~僕も全く同じ事を感じています。現在のボリウッド音楽や中東音楽なんて自分以外誰も興味を持ってくれないと思っていたけれど、今では僕はNHKFMのラジオ番組も持っているし、カルチャーセンターのワールドミュージック講座には毎年40名もの受講生が来てくれます。最近では講座で知りあった受講生同士が音楽を求めて海外旅行に出たりもしています。

 

「それはすばらしいね。時代が変わったんだ。モーラムやダブケも現地での受け入れ方が変わってきた。以前はバンコクでモーラムを探し出すのは難しかった。レコード屋に行き、モーラムが欲しいと言うと、店員が笑い出したんだ。そして、お店の裏に案内され、箱を無数に出してきた。そこには7インチやLPが詰まっていて、当時はとても安かった。それを一枚ずつ選び出して、最後には握手して別れたよ」

世界は今も変化し続けている。特にこの10年、5年で大きく変わった

M「いいかい、世界は今も変化し続けているんだ。特にこの10年、いや、この5年で大きく変わった。西洋の人々はその事に気づくべきだ。YOUTUBE一つをとっても世界中で音楽のスタイルから表現方法、広がりまで全てを変化させている。

先日初めてsoi48に会った。彼らはタイ音楽にどっぷりハマっていた。そして、DJを通じて、彼らが愛するドーナツ盤をプレイし、多くの人をタイ音楽に引き込む。彼らのやり方は素晴らしいよ。10年前に僕たちがサブライムを始めた時は誰もこうした音楽の良さをわかってくれず、非常に寂しい思いをした。その時から比べると、随分と遠くまで来たと感慨深かったよ。 

 

~僕も全く同じ事を感じています。現在のボリウッド音楽や中東音楽なんて自分以外誰も興味を持ってくれないと思っていたけれど、今では僕はNHKFMのラジオ番組も持っているし、カルチャーセンターのワールドミュージック講座には毎年40名もの受講生が来てくれます。最近では講座で知りあった受講生同士が音楽を求めて海外旅行に出たりもしています。

 

「それはすばらしいね。時代が変わったんだ。モーラムやダブケも現地での受け入れ方が変わってきた。以前はバンコクでモーラムを探し出すのは難しかった。レコード屋に行き、モーラムが欲しいと言うと、店員が笑い出したんだ。そして、お店の裏に案内され、箱を無数に出してきた。そこには7インチやLPが詰まっていて、当時はとても安かった。それを一枚ずつ選び出して、最後には握手して別れたよ」

「頼むからオマールを海外に連れていかないでくれ」と頼まれたよ。

M「シリアでも同じだった。オマール・スレイマンを聞きたい、ダブケを聞きたいと言うと、大笑いされた。僕の仕事を手伝ってくれた友人は、ダマスカスのインテリで、建築家でもあり、芸術にも造詣が深い。コスモポリタンな文化人、彼らはビョークやゴリラズ、ニルヴァーナ、カニエ・ウェスト、そして西洋のクラシック音楽などを聴いていた。2000年頃、彼らはインターネットを手にし、西洋の音楽やクラシックの作曲家を知りはじめた。ちょうどその頃、僕はシリアに行き、ハッセケのダブケが欲しいと言った。ハッセケというのはシリア北東部のオマールの生地の村だ。すると、彼らは「なぜ、そんなものが欲しいんだ? ダブケなんてのはゴミ音楽だよ。それにオマール・スレイマンなんて低階層のゴミ歌手だと」と言い出した。

そして、オマールが海外で人気が出るにしたがって、「頼むからオマールを海外につれていかないでくれ、あれがシリアの音楽だと思われたら恥ずかしい」と言ってきた。その後、ビョークがオマールにリミックスを依頼しただろう。もちろん彼らはビョークの大ファンだった。ビョークがオマールと共演することは彼らにとって意表を突く出来事だった。世界的に有名なアーティストがシリアのゴミ音楽の歌手と共演したがったなんてことが(笑)」

 

 

2013年7月20日 Sublime Frequencies a Go Go!@沖縄南国の夜
Photo by 與古田忠(南国の夜)
http://www.nan59.com

「頼むからオマールを海外に連れていかないでくれ」と頼まれたよ。

M「シリアでも同じだった。オマール・スレイマンを聞きたい、ダブケを聞きたいと言うと、大笑いされた。僕の仕事を手伝ってくれた友人は、ダマスカスのインテリで、建築家でもあり、芸術にも造詣が深い。コスモポリタンな文化人、彼らはビョークやゴリラズ、ニルヴァーナ、カニエ・ウェスト、そして西洋のクラシック音楽などを聴いていた。2000年頃、彼らはインターネットを手にし、西洋の音楽やクラシックの作曲家を知りはじめた。ちょうどその頃、僕はシリアに行き、ハッセケのダブケが欲しいと言った。ハッセケというのはシリア北東部のオマールの生地の村だ。すると、彼らは「なぜ、そんなものが欲しいんだ? ダブケなんてのはゴミ音楽だよ。それにオマール・スレイマンなんて低階層のゴミ歌手だと」と言い出した。

そして、オマールが海外で人気が出るにしたがって、「頼むからオマールを海外につれていかないでくれ、あれがシリアの音楽だと思われたら恥ずかしい」と言ってきた。その後、ビョークがオマールにリミックスを依頼しただろう。もちろん彼らはビョークの大ファンだった。ビョークがオマールと共演することは彼らにとって意表を突く出来事だった。世界的に有名なアーティストがシリアのゴミ音楽の歌手と共演したがったなんてことが(笑)」

 

 

2013年7月20日 Sublime Frequencies a Go Go!@沖縄南国の夜
Photo by 與古田忠(南国の夜)
http://www.nan59.com

「頼むからオマールを海外に連れていかないでくれ」と頼まれたよ。

M「シリアでも同じだった。オマール・スレイマンを聞きたい、ダブケを聞きたいと言うと、大笑いされた。僕の仕事を手伝ってくれた友人は、ダマスカスのインテリで、建築家でもあり、芸術にも造詣が深い。コスモポリタンな文化人、彼らはビョークやゴリラズ、ニルヴァーナ、カニエ・ウェスト、そして西洋のクラシック音楽などを聴いていた。2000年頃、彼らはインターネットを手にし、西洋の音楽やクラシックの作曲家を知りはじめた。ちょうどその頃、僕はシリアに行き、ハッセケのダブケが欲しいと言った。ハッセケというのはシリア北東部のオマールの生地の村だ。すると、彼らは「なぜ、そんなものが欲しいんだ? ダブケなんてのはゴミ音楽だよ。それにオマール・スレイマンなんて低階層のゴミ歌手だと」と言い出した。

そして、オマールが海外で人気が出るにしたがって、「頼むからオマールを海外につれていかないでくれ、あれがシリアの音楽だと思われたら恥ずかしい」と言ってきた。その後、ビョークがオマールにリミックスを依頼しただろう。もちろん彼らはビョークの大ファンだった。ビョークがオマールと共演することは彼らにとって意表を突く出来事だった。世界的に有名なアーティストがシリアのゴミ音楽の歌手と共演したがったなんてことが(笑)」

 

 

2013年7月20日 Sublime Frequencies a Go Go!@沖縄南国の夜
Photo by 與古田忠(南国の夜)
http://www.nan59.com

60、70、80年代を見直す必要はない。全ては今、君の目の前に存在しているんだ!

~君はこの10年、すばらしい経験をしてきたんだね。でも、そうした出会いと興奮をこれから先、再び見つけることは難しくなっているんじゃないかな? レコードショップの裏の倉庫に無数のお宝が眠っているなんてことは、世界中どこに行ってももはやないのでは?

 

M「そのとおりだね。今ではモーラムのアナログ盤がバンコクのお洒落なブティックに高値を付けられて売られていたり、もしくは捨てられてしまったり。そして、モーラムが売れるなら、コンピ盤を作って売ってしまえとばかりに、プレゼンテーションも選曲も何も考えないままにコンピ盤が無数に作られている。もはや、10年前の体験と同じ気持ちではもうタイを訪れることはないだろう。でも、僕はもう新しいモーラムを見つけようとは思わない。それならモーラムの映画を作るか、別の音楽を探すことでその国に敬意を称する。

 

消えゆく世界、人はニッチを次々に探し求め、何かを引っ張り出し、注目を与える。それが何であれ、僕は常にインスピレーションを求めてきた。そして、僕は、現在目の前にある音楽こそ興味深いと確信している。1960年代、70年代、80年代を見直す必要はない。全ては今、君の目の前に存在しているんだ!」

 

2013年7月26日渋谷にて

 

60、70、80年代を見直す必要はない。全ては今、君の目の前に存在しているんだ!

~君はこの10年、すばらしい経験をしてきたんだね。でも、そうした出会いと興奮をこれから先、再び見つけることは難しくなっているんじゃないかな? レコードショップの裏の倉庫に無数のお宝が眠っているなんてことは、世界中どこに行ってももはやないのでは?

 

M「そのとおりだね。今ではモーラムのアナログ盤がバンコクのお洒落なブティックに高値を付けられて売られていたり、もしくは捨てられてしまったり。そして、モーラムが売れるなら、コンピ盤を作って売ってしまえとばかりに、プレゼンテーションも選曲も何も考えないままにコンピ盤が無数に作られている。もはや、10年前の体験と同じ気持ちではもうタイを訪れることはないだろう。でも、僕はもう新しいモーラムを見つけようとは思わない。それならモーラムの映画を作るか、別の音楽を探すことでその国に敬意を称する。

 

消えゆく世界、人はニッチを次々に探し求め、何かを引っ張り出し、注目を与える。それが何であれ、僕は常にインスピレーションを求めてきた。そして、僕は、現在目の前にある音楽こそ興味深いと確信している。1960年代、70年代、80年代を見直す必要はない。全ては今、君の目の前に存在しているんだ!」

 

2013年7月26日渋谷にて

 

60、70、80年代を見直す必要はない。全ては今、君の目の前に存在しているんだ!

~君はこの10年、すばらしい経験をしてきたんだね。でも、そうした出会いと興奮をこれから先、再び見つけることは難しくなっているんじゃないかな? レコードショップの裏の倉庫に無数のお宝が眠っているなんてことは、世界中どこに行ってももはやないのでは?

 

M「そのとおりだね。今ではモーラムのアナログ盤がバンコクのお洒落なブティックに高値を付けられて売られていたり、もしくは捨てられてしまったり。そして、モーラムが売れるなら、コンピ盤を作って売ってしまえとばかりに、プレゼンテーションも選曲も何も考えないままにコンピ盤が無数に作られている。もはや、10年前の体験と同じ気持ちではもうタイを訪れることはないだろう。でも、僕はもう新しいモーラムを見つけようとは思わない。それならモーラムの映画を作るか、別の音楽を探すことでその国に敬意を称する。

 

消えゆく世界、人はニッチを次々に探し求め、何かを引っ張り出し、注目を与える。それが何であれ、僕は常にインスピレーションを求めてきた。そして、僕は、現在目の前にある音楽こそ興味深いと確信している。1960年代、70年代、80年代を見直す必要はない。全ては今、君の目の前に存在しているんだ!」

 

2013年7月26日渋谷にて

 

Porest - Continental Revolt

MarkのバンドPorestの2006年作 "Tourrorists" から

Porest - Continental Revolt

MarkのバンドPorestの2006年作 "Tourrorists" から

Porest - Continental Revolt

MarkのバンドPorestの2006年作 "Tourrorists" から

Choubi Choubi! Folk and Pop Sounds From IRAQ (Volume 2) 2LP
(Mark Gergis Latest Produce Work)

Sublime Frequencies http://www.sublimefrequencies.com/

Sublime Frequencies A Go Go! 2013 Japan Tour http://www.anttkc.com/sf2013/

 Porest http://www.porestsound.net/home/

Choubi Choubi! Folk and Pop Sounds From IRAQ (Volume 2) 2LP
(Mark Gergis Latest Produce Work)

Sublime Frequencies http://www.sublimefrequencies.com/

Sublime Frequencies A Go Go! 2013 Japan Tour http://www.anttkc.com/sf2013/

 Porest http://www.porestsound.net/home/

Choubi Choubi! Folk and Pop Sounds From IRAQ (Volume 2) 2LP
(Mark Gergis Latest Produce Work)

Sublime Frequencies http://www.sublimefrequencies.com/

Sublime Frequencies A Go Go! 2013 Japan Tour http://www.anttkc.com/sf2013/

 Porest http://www.porestsound.net/home/

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