サラーム海上のゼロ年代音楽ベスト10

サラーム海上のゼロ年代音楽ベスト10

雑誌「ミュージックマガジン」2010年6月号は「ゼロ年代アルバム ベスト100 洋楽編」特集だ。
「ミュージックマガジン」は僕が高校生だった頃1984年くらいから、海外にいた期間を除いて、ほとんど毎号読んできたので、もう三十年近い付き合いがある。学生だった80年代、音楽業界で働き出した90年代を通じて、僕の音楽指向の基礎部分の多くを培ってくれたのはまぎれもなく「ミュージックマガジン」誌だった。そして、文章を書く側としても、僕がフリーの音楽ライターになった2000年10月の頃から約10年にわたってお世話になっている。

「ゼロ年代アルバム ベスト100 洋楽編」特集。最近は何かと「ゼロ年代」の総括が話題になっているので、なかなかのタイミングだ。僕は参加していないが、僕の尊敬するワールド音楽の先輩達、原田尊志さん、石田昌隆さん、松山晋也さん、北中正和さん、そして大石始君らも参加しているので、興味深く拝読させていただいた。そこで僕も自分のゼロ年代ベスト音楽をここに記したくなった。

これまでならこうした原稿は雑誌などに依頼され、若干の原稿料をいただくという前提があって書いていたが、今では音楽雑誌に書いても数千人から、相当上手くしても一万人程度の読者に読まれるだけだ。(TVBros.なら50万人の購買者が読んでくれる可能性があるが)それならば、原稿料はどこからも発生しないのだが、僕のブログやサイト上に書いたほうが読んでくれる人がよっぽど多い。すごい時代になったものだ。

僕は、音楽ライターの仕事を始めた時から、雑誌編集部に頼まれたり、レコード会社に頼まれたモノだけを書くのではなく、自分の耳や足で稼いだ(知った)音楽を書くことを常に意識してきた。だから石田昌隆さんが「ゼロ年代アルバム ベスト100 洋楽編」の記事の中に「批評とは評価の定まっていないものを評価すること」と書かれていたことには我が意を得た思いがした。僕が選んだ10組のうち日本人を除いた8組は、一つも「ゼロ年代アルバム ベスト100 洋楽編」に選ばれていないからである。

ゼロ年代の音楽......僕は2000年の10月に会社を辞め、フリーの音楽ライターとしての仕事を始めた。思いおこせば、ゼロ年代とは僕が音楽ライターとして自分の耳や感覚やカンなどを頼りに音楽をリサーチした十年間だった。僕は自分の愛する音楽を求めて、頼まれてもいないのに世界を旅し、音楽家達に出会い、話を聞き、演奏を聞き、幾ばくかの時間を共有し、彼らの音楽を理解しようと務めた。なので、ここに挙げた十組を選ぶのは簡単だった。旅の写真やビデオ、日記をimacの中から探し出せばいいだけだったから。レコード棚を掘り返す必要もなかったし、何も考える必要すらなかった。そして、多くの場合、あるアーティストと別のアーティストは国籍やジャンルは別でも、不思議なことに僕の中でなんらかの繋がりが生じて、出会うことになった。

僕は彼らの音楽のアルバムやDVDや僕が撮影したDVカセットを、レコード盤時代なら「すり切れるほど」との表現がぴったりなほど、繰り返し聞いた(見た)。なので、正直言うと、今では「もう十分聞いたから飽きちゃった」というものもある。僕の原稿を熱心に読んでくれた人達や僕の講義やDJパーティーに来てくれる人達の中には「また、あれを書いているの? もうわかったから!」と言いたくなる人もいるはずだ。それでも、僕は今日のうちにこの原稿を書いたほうがイイと思っている。

前置きが長くなったが、僕のゼロ年代音楽ベスト10をアバウトに紹介したい。なぜアバウトかと言うと、ここにはベストアルバム、ベストアーティスト、ベストジャンルが混じっている。それに古典音楽など、ゼロ年代に生まれたものではないものも含まれている。更に、文章も「てにをは」すら間違ったままかもしれない。そこは編集者が校正してくれるわけではないし、原稿料すら発生していないのだから、大目に見て欲しい。

彼らの音楽は彼ら共有したモロッコやトルコやフランスやインドでの時間や空間、空気や食べ物のニオイ、町の色彩、湿度、数々の思い出と切り離せなくなっている。雑誌やウェブで紹介されたものをチェックし、Amazonや配信サイトや都内のCDショップで見つけてきて、自分の部屋の中で初めて聞いたものではない。その中にはババズーラやメルジャン・デデ、ムサフィールのハミッド・カーン、久保田麻琴さんやU-zhaanのように今では大切な友人となっている人達もいる。だから、このベスト10は自分の知識を一部切り売りしたものではなく、ゼロ年代における僕自身の活動の記録でもあるのだ。

1.A.R. Rahmanの全ての仕事 "Delhi-6"

delhi6.jpg僕にとってゼロ年代の始まりの一つはA.R.Rahmanの98年の曲「チャイヤー・チャイヤー」だった。この曲を聞いたのは2001年夏に観たリメンバー・シャクティーの千葉公演で、ザキール・フセイン(ヒンディー語読みならザーキル・フサイン)を中心とするインド古典音楽の壮絶な生演奏&インプロヴィゼーションにヤラれたのがきっかけだった。インド古典音楽の生演奏をじっくり聴くため、その年末にインドを再訪することにした。そして旅の前に日本で手に入るインド音楽や映画を片っ端から聞いて、見てみた。その中でも、三茶のツタヤで借りたボリウッド映画「ディル・セ 心から」のVHS版でドギモを抜かれたのが「チャイヤー・チャイヤー」だった。詳しくは拙著「プラネットインディア インドエキゾ音楽紀行」を読んでいただきたい。
ラフマーンは知ってのとおり、2009年にはアカデミー賞、2010年にグラミー賞まで受賞した。彼の受賞は、僕のこの十年間の活動が間違っていなかったこと、自分が正しい径の上にいて、正しい方向に進んでいることを確認する機会となった。最近の作品で一枚上げろというなら「Delhi-6」のサントラ盤かな。

2.Remember ShaktiとTabla Beat Science(Zakir Hussain)"Live In San Francisco At Stern Grove"

24x2jpl.jpgタブラ・ビート・サイエンスはそのザキール・フセインとビル・ラズウェルが中心となったインディアン・エレクトロニック・ジャム・バンド。僕はザキールと、そしてドラマーのカーシュ・カーレイ、エレクトロニクス担当のミディヴァル・パンディッツを追いかけて、2002年夏にレバノンのベイルートまで出かけた。その後のタブラ・ビートは2004年に一度だけ来日公演を行ったが、メンバーがそれぞれに多忙のため休止状態となっている。カーシュ・カーレイはインド古典+エレクトロニック音楽のムーヴメント「エイジアン・マッシヴ」を牽引し、三枚のソロアルバムとアヌーシュカ・シャンカルとのデュオアルバムをリリースした。ミディヴァル・パンディッツはインドを代表するエレクトロニック音楽プロデューサーに成長した。
そしてザキールをめぐるもう一つのグループ、彼とジョン・マクラフリンとの双頭グループ、リメンバー・シャクティーは現在まで不定期で活動中。新規に加わったヴォーカリスト、シャンカル・マハーデーヴァンはA.R.ラフマーンと並んでボリウッドを代表する作曲家チーム、シャンカル・エヘサーン・ロイとしても活躍している。

3.Mercan Dede "NEFES/Breath"

nefes250.jpg2002年夏にタブラ・ビート・サイエンスを追いかけて出かけたベイルートに向かう途中に立ち寄ったトルコ、イスタンブールで偶然見つけたCDがメルジャン・デデの2002年作「NAR」だった。メルジャンの音楽はトルコのスーフィー教団メヴレヴィーの旋回舞踊儀式の音楽セマーを元にエレクトロニックなダンス音楽化したスーフィー・エレクトロニカ。
トルコは1990年から何度も訪ね、96年、97年には6ヶ月も滞在していたのに、当時は興味深い音楽は見つけられなかった。しかし、21世紀を迎えたイスタンブールでは東京やロンドンと比べても全く遜色のないアンダーグラウンド〜オルタナティブ音楽シーンが育っていた。メルジャン・デデはワールドミュージックヨーロッパチャートWMECで初めてベスト1に輝いたトルコ人となった。どのアルバムもすばらしいが、06年の"NEFES/Breath"は同年秋の来日公演とともに思い出深い。

4.Babazula "Psyche-Belly Dance Music"

51odbYNN+5L.jpgメルジャン・デデの「NAR」はダブルムーンというレーベルからリリースされていた。日本に戻り、ダブルムーンの全作品を取り寄せて、聞いていた所、2003年になってベリーダンス音楽とサイケデリック・ロックをミックスした音楽性を持つジャムバンド、ババズーラをUKダブの首領マッド・プロフェッサーがミックスしたアルバムが届いた。この作品「Psyche-Belly Dance Music」は折からのベリーダンス・ブームとともに日本でも注目された。僕は05年夏に再訪したイスタンブールで初めてメンバー達と知り合い、それ以来、イスタンブールに行く度に再会し、現在も家族ぐるみの親密な付き合いが続いている。07年には渋谷クラブクアトロで初来日公演を行い、客席に500人近いベリーダンサーを集めた。友人の日本人ベリーダンサーNourahは彼らのステージダンサーとしてトルコやヨーロッパでのツアーにも参加している。最近はダンサー兼歌手の女性メンバーを増やし、曲想を広げている。詳しくは既に第一校を書きあげたのだが、まだ版元が決まらない僕の次回作「イスタンブール・マラケシュ~サラーム海上の中東音楽紀行(仮題)」を待って欲しい。

5.Musafirとラージャスターン音楽 "Barsaat"

Musafir - Barsaat.JPG.jpeg01年末から毎年末にインド各地を訪ねるようになり、04年頭には北西インドの砂漠の州ラージャスターンを訪れた。ラージャスターンには旅芸人の大道芸や民謡などの芸能が今も残っている。詳しくは拙著「プラネット・インディア」を。
ラージャスターンの州都ジャイプールでは州全土の芸能を一つに集め、ヨーロッパでCDをリリースし、ツアーを行っている楽団ムサフィールのリーダー、ハミッド・カーンの自宅を訪ねた。02年初夏にドイツ公演中の彼らを取材し、その際にジャイプールに来る際は我が家に寄るといいと言われていたのだ。以来、インド、シンガポール、日本、インドと、毎年のようにハミッドと出会い、親交を温め、家族ぐるみの付き合いが続いている。09年末に僕がオーガナイズした初のインド団体旅行では十五名の参加者とともにハミッドの家を訪ね、プライベート・コンサートを開いてもらった。現在、ヨーロッパの不景気とインドの好景気が重なり、海外公演が中心だったムサフィールは開店休業状態だが、メンバー達は国内各所のコンサートに招聘され、ハミッドは自宅奥に音楽センターKawa Music Centreを開き、外国人音楽家や旅行者向けにワークショップを行っている。Musafirのセカンドアルバム「Baasat」はラージャスターンの民謡や器楽の様々なスタイルを収録した楽しい作品。

6.インド古典音楽(Chennai Music SeasonとSaptak Festival)Shiv Kumar Sharma & Kishan Maharaj "Sympatico"

sks2.jpg90年代末にインドをバックパック旅行していた頃までは、インド古典音楽なんてヨガのための瞑想音楽だと思っていた。だが、2001年にザキールのプレイに触れ、チェンナイの南インド古典音楽祭「Chennai Music Season」に通い、近年はアーメダバードの北インド大学音楽祭「Saptak Festival」も訪れるうち、シブクマール・シャルマ、ハリプラサード・チャウラシア、スダー・ラグナータン、TMクリシュナら超一流の演奏家による生演奏を聞き、そんな甘いもんじゃないよ! と気づいた。一曲一時間強のラーガ&ターラが織りなす世界はヘヴィーメタルやジャズよりも激しく、それでいてエモーショナル、宇宙的なほどエモーショナルなのだ。世界広しと言えど、これほどミニマルで高密度な即興音楽は片手の指で数えられるくらいしかない。これも詳しくは「プラネット・インディア」を読んでいただきたい。

7.Shankar Ehsaan Loyとボリウッド音楽 "Kal Ho Naa Ho"

kalhonasrk.jpgザキール・フセインとジョン・マクラフリンの双頭グループ、リメンバー・シャクティーに新加入したヴォーカリスト、シャンカル・マハーデーヴァンが音楽仲間のエヘサーン・ルーラニ、ロイ・メンドンサと組んだボリウッド音楽プロデューサー・トリオ。欧米のロック、ポップ、ジャズ、アイリッシュ音楽などをスタイリッシュに取り入れ、日本でも公開されたボリウッド映画「たとえ明日が来なくても」や「DON 過去を消された男」などの音楽を担当し、A.R.ラフマーンと並ぶ人気を得た。「たとえ明日が来なくても」ではロイ・オービソンの「プリティ・ウーマン」のサビだけを元に、バングラ・メタルに仕上げ、インド人だけでなく、世界の音楽ファンの度肝を抜いた。
ボリウッドの作曲家は基本的に多作&駄作を繰り返すため、どれか一枚を代表作として選ぶのは難しい。名曲を見つけるための一番簡単な方法はYOUTUBEなどでまめに新作映画のミュージカルシーンをチェックすること、もしくはインド版のCDを全部まとめて買うことである。

8.モロッコのグナワ V.A. "Gnawa Home Songs"

51aMGZ1uEoL._SL500_AA300_.jpgゼロ年代、僕が惹かれた音楽の一つにモロッコの黒人系トランス音楽グナワがある。カルカベと呼ばれる大型の金属カスタネットを山伏のような衣装を着た楽師達が三連の引きずるリズムで「チャカチャ、チャカチャ」と打ち鳴らし、ゲンブリと呼ばれるチョッパーベースのような弦楽器で呪術的なリフを繰り返す、西アフリカ的、ブードゥー的な宗教音楽。夜通し行われる儀式リラでは羊が屠られ、コミュニティーの女性達が踊るにつれて次々とトランス状態に陥る。これも詳しくは僕の次回作「イスタンブール・マラケシュ~サラーム海上の中東音楽紀行(仮題)」を待って欲しい。
グナワはライヴ音楽であり、名作アルバムのような考え方は存在しないので、CDをどれか一枚挙げるのはとても難しい。僕がハッサン・ハクムーンの自宅で撮影したリラの儀式のビデオには、音楽に合わせて次々とトランス状態に入っていく女性達が映っていて、それは誰に見せても驚かれる。

9.久保田麻琴 Blue Asia "Hotel Morocco"

513tBg2Xb+L._SL500_AA300_.jpg2003年に初の著書「エキゾ音楽超特急」を刊行し、それに合わせてウェブサイトを立ち上げた所、読んでくれた様々な方から連絡をいただいた。その中で一番嬉しかったのが80年代初頭からずっとファンだったプロデューサーの久保田麻琴さんから連絡をいただいたことだった。インタビューやライナーノーツの仕事を頼まれるうちに、プライベートでもお付き合いさせていただくことになり、モロッコのグナワのフェスティバルやシンガポールのWOMADには同行取材を行った。
モロッコやベトナム、エチオピアやノルデスチなど、常に外へ外へと向いていた麻琴さんだが、ゼロ年代後半に突然、足下の日本に目ざめ、宮古島の神歌の録音や再発盤を制作し、そして現在は日本の某踊りにまで手を伸ばしている。世界中の音楽言語を操り、自らの作品を作り上げてしまう熟練の技と、普段は隠れているものの、時にほんのちょっとだけ顔を出すメロウな感覚がすごい! これからもよろしくお願いします。

10.Asa-Chang & 巡礼 「影の無いヒト」

417VQBz5GsL._SS500_.jpg巡礼も僕にとっては思い出深いグループだ。タブラ奏者のU-zhaanが加入したのが2001年、そして彼とオペレーターの浦山秀彦さん(僕は彼だけはお会いしたことがない)が脱退したのが2010年。本当にゼロ年代の音楽だったのだ。Asa-Changの東北ダダ的?前衛感覚と昭和時代の歌謡的なポップ感覚をU-zhaanのタブラ、浦山さんのサウンド・トリートメントが支えた三位一体アンサンブルから生まれた名曲「花」はいつ聞いても新鮮だ。
僕がAsa-Changと初めてお会いしたのは2001年のリメンバー・シャクティーの千葉公演の終了後だった。会場の外で彼が巡礼のライヴのフライヤーを配っていたのだ。この日のリメンバー・シャクティー公演は僕にとって運命の日だったのだ。その後、U-zhaanには2004年正月に訪れたカルカッタでも随分お世話になった。その時はちょうど巡礼feat.小泉今日子のシングル「背中」がリリースされた直後で、色々な媒体にAsa-ChangとKyon2の2ショットとインタビュー記事が載った。しかし、カルカッタまでU-zhaanのインタビューをしに行ったライターは僕だけだった。結局のところ、僕の個性とはこういう地道で手間のかかる事、お金にもならない事の積み重ねなのだろう。
2009年春には巡礼初のフランス公演に仏語通訳兼記者として同行させて頂き、フランス人観客のスタンディングオベーションを目のあたりにした。帰国後の2009年5月に三茶の世田谷パブリックシアターで行われた Jun Ray Dance Changではコンテンポラリーダンスやタップダンスと巡礼の生演奏がコラボレートし、日本語の響きとインド古典音楽のリズム体系を元とした巡礼の世界を視覚まで加えた総合芸術に高めてしまった。ここで巡礼としての活動はピークを迎えてしまったのだろう。朝倉さんも、U-zhaanも、浦山さんも、次の動きが楽しみだ。

ここまでで無理矢理10組。次点として、まず最初にゴーゴル・ボルデロとM.I.A.を挙げたいが、彼らはもしかしたら「10年代の音楽」になるのかもしれない。それに何よりも僕はまだ彼らに対して取材不足である。バルカンビーツという言葉を作ったドイツ人DJのシャンテル、イスラエル版エイジアン・ダブ・ファウンデーションとでも呼びたいバルカン・ビート・ボックスももう少し、幾ばくかの時間を共有した上で「10年代の音楽」になるのか判断したい。日本人ではOKIさん、それにシタール奏者のヨシダダイキチさんの音楽も常に伝統的であり、オリジナリティーがある。

その他、ルーマニアのジプシー楽団タラフ・ド・ハイドゥークス、アゼルバイジャンの古典歌手アリム・カシモフ、アルジェリア/フランスのグナワ・ディフュージョンとラシッド・タハ、アルジェリア/トゥアレグのティナリウェン、コンゴのコノノNo.1もずっと注目してきた。ジャンルで言うなら、カーシュ・カーレイやDJシェビー・サバーらによるエイジアン・マッシヴ、それにパキスタン~インドのカウワーリー、ブラジルのバイリ・ファンキ、アンゴラのクドゥロも気になるのだが、なんせ僕はアメリカ大陸にも東欧にもブラックアフリカにも行ったことないし、スペイン語やロシア語はあまり覚える気もないのだから、彼らの音が鳴る世界は想像する事しかできない。人間、出来る事は増やせるが、限りはある。

さて、10年代がついに始まった。今はまだ聞こえてこないが、来年、再来年頃には世界のどこからか注目すべき音楽が僕の目の前に現れて、僕はまだ知らないどこかに向かって旅を開始しているだろう。

2010年5月21日

おいしい中東 オリエントグルメ旅

おいしい中東カバー.jpgサラーム初の料理本、日本初の汎中東料理エッセイ集
双葉文庫から絶賛発売中!
528頁の大ボリュームで900円(税込)
詳しくはLinkIcon

21世紀中東音楽ジャーナル

21世紀中東音楽ジャーナル表紙.jpg伝統と未来が交叉するマジカル・ゾーン、中東へようこそ!
トルコ、モロッコ、イエメン、そして革命に沸くエジプト……
9・11から3・11までの10年に激動の中東から響いてきた音楽とは?!

詳しくはLinkIcon

エキゾ音楽超特急

83s83N83608383201.png全国のエキゾ音楽ファン、お待たせしました! あの「エキゾ音楽超特急」が完全版となって帰ってきました! 全国の書店CDショップ、インターネット通販サイトで絶賛発売中!

詳しくはLinkIcon

PLANET INDIA
インド・エキゾ音楽紀行

planetindia.jpg「サラーム君、これからインド音楽をどんどん紹介してくれよ」エキゾでナイスな音楽を探し求める「よろずエキゾ風物ライター」の著者が見たインドの音楽、映画、人々、料理とは?!

詳しくはLinkIcon

アラブ・ミュージック
その深遠なる魅力に迫る

arabmusic.jpg国際交流基金で行われた短期講座を単行本化。音楽評論家や大学教授、音楽家など10人の識者が執筆。サラームはモロッコのグナワ編を書いてます。

詳しくはLinkIcon

宇宙からの歌、宇宙への音

51k4fB3NjLL._AA240_.jpg「宇宙の音を聴く」異色のディスクガイドが登場!スペイシー、コズミック、トリップ、トランシーなどと表現される宇宙的な音楽を古今東西から集めた異色のガイドブック。

詳しくはLinkIcon

世界は音楽でできている

51PMZ2B0tHBL._AA240_.jpgポピュラー音楽から宗教音楽まで、世界中の音楽を紹介し尽くす日本初のガイド・ブック! ヨーロッパ・アジア・太平洋・ロシア&NIS編

詳しくはLinkIcon

CLUB BOLLYWOOD

clubbollywood200.jpgインド人もビックリ! 歌って踊って泣けるアゲアゲ コンピ! 21世紀のボリウッド名曲13選!

詳しくはLinkIcon

VERY BELLYDANCE 3
TRIBAL & GYPSY

verybelly200.jpgトライバル&ジプシー系ベリー・ダンス・ミュージックの究極コンピ!

詳しくはLinkIcon

YALLAH! YALLAH!

yallah.jpgひらけ第三の目! 中東、インドなど、注目のエキゾ・エリアで最先端を行く音楽をまとめた初めてのヤッラー!(=レッツ・ゴー!)なコンピが遂に誕生!

詳しくはLinkIcon

YALLAH! YALLAH! 2

yallah2.jpgベリーダンスに、フロアに、エスニック料理のおともに…日本初 の快楽エキゾ・コンピ、みんなでヤッラー! 待望の第二弾が登場! 更にイケイケにパワーアップ!

詳しくはLinkIcon

SHANTI SHANTI

shanti.jpgシャンティ=ピース・オブ・マインド(平安)
瞑想に、静かな一人の時間に…聖なる声と音を通してディープな自分を見つめる、スピリチュアル・トリップへ。

詳しくはLinkIcon

CROSSING THE BRIDGE
THE SOUND OF ISTANBUL

plakats.jpgイスタンブールの音楽シーンを描いた音楽ドキュメンタリー映画。何度観ても旅情を誘われます。サラームは日本語字幕監修や特典映像に参加。

詳しくはLinkIcon